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韓国政府が無視していた慰安婦問題を顕在化させたのは「記憶の活動家」たち

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月7日 18時55分

ニック 少数ですが、オランダ人女性の慰安婦問題が戦犯法廷で取り扱われました。一方で日本人や中国人や韓国人の慰安婦については問題にされませんでした。

グラック教授 そのとおりです。東京裁判で連合軍の調査官は「慰安ガール」について触れていましたが、訴追しませんでした。一方で、日本占領中のオランダ領東インド(現在のインドネシア)で一部の日本軍人が民間人抑留所のオランダ人女性を慰安婦にした件は、戦後のインドネシアで行われたオランダによるBC級戦犯裁判で裁かれたのです。 なぜオランダ人慰安婦に対する罪では日本人を裁いたのに、中国人や日本人、韓国人やフィリピン人などの慰安婦については訴追しなかったのでしょう。明らかな答えがありますね。

クリス 人種でしょうか。



グラック教授 そうです。オランダ人女性の中には白人もいたからです。また、日本では「慰安婦が存在した」というのは終戦直後の時点では秘密でもなんでもなく、一般的に知られている事実でした。1947年には田村泰次郎による慰安婦についての短編『春婦伝』が出版されていましたし、慰安所という言葉は知られていて、1960年代には日本の国会で戦傷病者戦没者遺族等援護法(1952年制定)に関連して元日本人慰安婦について触れられてもいました。

では、みんなが知っていた慰安婦という存在が、どのようにして戦争の物語の中に入ってきたのか。慰安婦とは、どのような人たちだったでしょうか。皆さんが持っているイメージを教えてください。

ダイスケ 若い女性でしょうか。

グラック教授 とても若い女性たちでした。13歳や14歳もいました。ほかには?

数人 貧しい。

トム 田舎に住んでいる?

グラック教授 そうですね。若い女性で、貧しい人が多く、田舎出身の人もいました。では、1990年代にはこうした慰安婦たちはどうなっていましたか。

ジヒョン とても年を取っていました。

グラック教授 とても年を取り、貧しい人もいて、アジア諸国に散らばっていました。そんな彼女たちが「運動」を起こせるでしょうか。元慰安婦がどのような人たちかを想像すると、無力で、ほかの元慰安婦と直接的な関わり合いがない場合が多いです。

ではそんな彼女たちが、なぜ現在の私たちの記憶の中に入ってきたのか。前回の話の「記憶の作用」について思い出してみてください。四つあった「記憶の領域」、すなわちオフィシャルな領域、民間・大衆文化の領域、個人の記憶、メタ・メモリー、この中で慰安婦が記憶として姿を現した領域とはどこだと思いますか。

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