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韓国と日本で「慰安婦問題」への政府の対応が変化していった理由

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月8日 16時15分

記憶を動かす「政治的文脈」

グラック教授 では、今度は別の領域についての質問です。ほとんどの人々は、慰安婦についてどのようにして知ったと思いますか。

数人 メディアを通して。

グラック教授 はい、メディアを通して知るわけです。これが、私が「メタ・メモリー」と呼ぶ記憶の領域です。前回の講義でお話ししたように「公での論争を通じて知る記憶」のことです。大半の人々は慰安婦問題のような記憶についての議論を、メディアを通して知ります。河野談話や慰安婦像についての議論をメディアを通して学んでいるのです。
このメタ・メモリーという領域は、ある記憶を拡散させるのに大きな影響力を持っています。日本政府は過去に向き合わなければいけない、とする議会決議がアメリカ、オランダ、EU議会、イギリスなどで出ているのは、この記憶がこれほど広範囲に広がった証拠でしょう。慰安婦問題について、直接的には何の関係もない所にまで、広がっていくわけです。

今回の講義も終わりに近づいてきましたが、今度は記憶の変化がどこからやって来るのかを考えてみましょう。こちらも前回お話ししましたが、記憶の変化とは、「下から」と「外から」の、二つの方向からやって来るもので、慰安婦の場合、日本の記憶の変化は外から影響を受けました。戦後70周年を迎えた2015年、日本政府と韓国政府にどのような圧力がかかりましたか。



ヒロミ アメリカなどの諸国が共同するよう働き掛けました。

グラック教授 そうです、アメリカは特に日本と韓国という二つの同盟国が争うよりも協力したほうがいいと考えていました。そのため、オバマ大統領(当時)は前年の2014年に韓国ソウルを訪れ、慰安婦について話したのです。ドイツのメルケル首相も2015年に発言しました。

クリス (小声で)ワーオ......。

グラック教授 こうした国際政治上の外国政府による圧力に加えて、外からはグローバル市民社会による圧力もありました。一方で、下からの変化は日本国内の民間団体などから起きました。この結果、日本にどのような変化が起きたのかというと、それまで慰安婦について知らなかった人々がこの問題について知り、慰安婦が日本の共通の記憶に取り込まれていくことになったのです。そして世界の記憶にも広がっていきました。 さて、最後は政治の話です。記憶の変化が起きたのは、なぜ1990年代だったのでしょうか。

ニック 冷戦が終わったからですか。

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