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カシミールを襲うインドの植民地主義

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月21日 17時40分

こうした動きは初めてではない。歴史をいくらか振り返れば、カシミールの希望は繰り返し抑え付けられてきた。



2016年と17年には、インド軍が地元住民を「人間の盾」に使って暴動を封じ込めようとした。2014年の洪水のときは、インドが救助費用をカシミールに請求した。2010年に起きた蜂起は「パキスタンが支援するテロ」としか見なされなかった。

1990年代には拷問や集団レイプが起き、1980年代後半には信仰による差別があった。全ては1947年の印パ戦争の際に、カシミールの帰属を決める住民投票が実施されなかったことが原因だ。

イギリスが1846年のアムリトサル条約によって創設したジャンムー・カシミール藩王国に同地方の住民と領土を売り渡した頃の植民地政策が、今も続いているという解釈もできる。カシミールに関する論調には既得権益という地雷がちりばめられ、政治的に正しい歴史はごく一部しか伝えられていない。

こうした見方を支持しない人もいるかもしれない。だが1947年8月にインドとパキスタンが分離独立したとき、カシミールはどちらにも属していなかった。これは否定できない事実であり、同時に問題の根源でもある。

当時のカシミールは、民族と宗教が複雑に絡み合う分断状態だった。インドとパキスタンはまずこの地方を占領し、そして分割した。以後、両国はカシミールにそれぞれのナショナリズムを押し付け、基本的人権まで否定してきた。

いわば合憲のクーデター

国際社会はカシミールへの視点を改めるべきだ。住民の立場から問題を考え、印パ対立というお決まりの図式から脱するべきだ。住民の参画なしに、平和で正しい解決はあり得ない。

もちろん、それは簡単なことではない。インド独立後に世界各地に離散した右翼ヒンドゥー勢力は、欧米諸国では少数派の権利を求めて闘っても、母国に戻れば自分たちの優越性を主張しがちだ。

人口14億近い多民族・多宗教国家のインドで、その8割を占めるヒンドゥー教徒の立場だけを擁護するヒンドゥー・ナショナリズム派にとって、立憲主義の非宗教的な民主主義国というインドの在り方は受け入れ難い。彼らは民族の純血性を求めるナチスを尊敬した勢力の系譜を受け継いでいる。多くの支持者は、たとえ住民の絶滅につながろうと、カシミールは絶対に手放さないという主張に賛同している。

1989年にカシミール盆地からカシミーリー・パンディットと呼ばれる少数派ヒンドゥー教徒勢力が脱出した。この一件をヒンドゥー・ナショナリズム派は巧みに利用してきた。宗教的な分断や少数派への暴力、多様化への対応の欠如ではなく、ヒンドゥー教徒への迫害やイスラム教徒の野蛮性、パキスタンによる陰謀という見方を打ち出した。

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