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ラグビーが統合する南北アイルランド

ニューズウィーク日本版 / 2019年9月26日 15時40分



この決断の背後には、現実的な理由もあった。2つの新しい代表チームを組織するためには、もともと薄いアイルランドの選手層を分割しなくてはならない。「統一チームを維持するためには、多くの人々が苦渋の選択を余儀なくされたが、北が競技の競争力を保つためにはそれしかなかった」と、『アイルランドとスポーツの歴史』の著者ポール・ラウスは言う。

その道のりは必ずしも平坦ではなかった。特に厳しかったのは、北アイルランドの宗派対立が激化した「ザ・トラブルズ」と呼ばれる約30年間の紛争だ。1998年の和平合意までに殺された人々は3500人以上に上る。

1987年W杯の直前には、北アイルランド出身の代表選手3人が南での練習に向かう途中、隣を走行していた車が爆発するという事件があった。IRA(アイルランド共和軍)の爆破テロだった。選手たちは攻撃のターゲットではなかったが、3選手のうち1人はけがで引退を余儀なくされた。

土曜の午後は1つの国に

だが最も暗い時代にも、歴史的な立場の違いを乗り越えたケースはあった。時には代表チームに、北の治安部隊のプロテスタント隊員が含まれていたこともある。彼らは当時、カトリック教徒のIRAとの戦いのさなかにあった。

「アイルランド代表の緑のジャージに身を包んだら、全ての違いは脇に置くんだ」と、南のアイルランド共和国出身のカトリック教徒で元代表チーム主将のドナル・レニハンは語る。

実際、ラグビーは協力の精神の象徴と見られるようになった。IRFUは1996年のIRAによる凄惨な爆弾テロ事件後、「平和国際マッチ」と銘打ってアイルランド代表と国際的スター選手の選抜チームとの試合をアイルランド共和国の首都ダブリンで開催。チケットの売り上げは南北アイルランドの特別な協力基金に寄付された。

現在の南のファンは北部出身の選手をヒーローとしてたたえる準備ができている。日本でプレーする31人の代表チームには北アイルランドのクラブ所属の選手が5人いる。彼らも他の選手と同等の称賛を浴びるはずだ。

現主将ローリー・ベストも北部出身だが、ダブリンで行われたW杯前最後のホーム試合で観客のスタンディングオベーションを受けた。

代表チームが国際試合に出るときは、ホームスタジアムには3種類の異なる旗が翻る。アイルランド共和国の3色旗、北アイルランドの旗、そしてIRFUの旗だ。



現在は新たな課題もみえている。アイルランド共和国とイギリスの両方がEU(欧州連合)に加盟して以来、北と南の古い対立感情は改善されてきたが、イギリスのEU離脱の可能性が高まっている今、国境を超えた共通理解の精神の真価が問われている。ブレグジット後に通関手続きを伴う厳格な国境が復活すれば、南と北の関係にどんな影響が及ぶのか。

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