共産党支配に苦しんだ国のはずなのに...スロバキアで体感した「親ロシア」の謎
ニューズウィーク日本版 / 2023年10月12日 12時40分
ソ連兵の戦死者を称えたスラビン 筆者撮影
その場所が完璧に維持管理されていて、街を一望できる目立つ場所にあり、そして「赤軍の犠牲への敬意」がそこかしこに記されている点に僕は驚いた。旧ソ連圏の国々のほとんどでは、ソ連時代の記念碑は破壊されるか軽視されるかしていた。あるいは少なくとも、共産主義支配の「罪」のほうも忘れないために、という狙いで残されていた。
でもスラビンの記念碑は汚れ一つないだけでなく、スターリンが事実上ヒトラーに代わって新たな占領者になっただけだという意味合いは全く匂わせず、2015年に改良工事まで行われていた。もちろん解放70周年記念の年ではあったのだが、ロシアがクリミア半島に侵攻した翌年でもあった。ロシア軍をあえて記念しようとするには奇妙なタイミングだ。
個人的には、その場所を訪れて「複雑な気持ち」になる可能性もあった。彼らは新たな暴君に仕えていた兵士だったかもしれないが、故郷を遠く離れた地で残忍なナチス軍と戦い亡くなった若者たちでもあった。ヒトラーを倒すために多くの戦いを担い、多くの犠牲を生んだのはソ連軍兵士であったことは、西側にとってもきまりの悪い公然の秘密だ。人類の自由と国家の主権にとって、ソ連は恐ろしい敵だったという僕自身の考えはそのままに、彼らの犠牲には敬意を払うべきだと僕は感じた。
それでも、スロバキアの市民が彼ら「解放者」に感謝よりも怒りを感じないでいられるのは、理解し難かった。チェコスロバキア(当時)の発展は数十年も停滞した。スロバキアの共産党指導者アレクサンデル・ドゥプチェクが自由化を図ろうと「プラハの春」を進めると、ソ連はただもう単純に侵攻して自由化を阻止し、あらゆる反対派をつぶした(1968年)。
イギリスによって「売り渡された」歴史
僕はスロバキアには特派員というよりも観光客の立場で滞在したが、もう1つ出会ったものが、僕に考察の材料を与えてくれた。僕はオーストリア国境に向かって、ブラチスラバ郊外の森の中へと足を踏み入れた。奥深くには、第1次大戦後にチェコスロバキアが成立した当時に建てられたバンカーが数多く残されていた。そのうち5つを訪れたが、森の奥深くにあってなかなかたどり着けない物もあった。僕は何度か方向感覚を失いそうになり、怖い思いをした。陰鬱に打ち捨てられたコンクリート製のバンカーは、薄気味悪かった。
森の中に残されたバンカー 筆者撮影
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