なぜここまで書くのか?...遺伝子をめぐる「2つの家族の物語」
ニューズウィーク日本版 / 2023年11月1日 11時20分
本の末尾には「情報源について」という頁があり、ギャルヴィン家全員と、その友人や近隣の人、教師、セラピストなど何十人もの人たちへの数百時間のインタビューに基づいており、創作した場面は一つもないと記される。このような断りを必要とするほどに、一家の心は仔細に再現され、それが卓越した構成力で描き出されている。
描かれる内容は、殺人、暴力、虐待など衝撃的だ。末娘のメアリーは兄から性的虐待を受け、兄をぐるぐる巻きにして火あぶりにすることを計画したこともあった。
この家族の歩みは、統合失調症についての研究の進展と交差する。長年、統合失調症を誘発する責任は母親にあると言われ、ギャルヴィン家の母親はその視線に苦しみ、その葛藤は子どもたちをさらに追い詰めていた。
しかし、母親への楔は解かれることになる。研究者たちは病に関与する遺伝子を探索していた。一家は自分たちの血液サンプルを差し出し、それが統合失調症の遺伝的研究に大きな発展をもたらした。
けれども、世界的に有名になったウェクスラー家と違うのは、これまでギャルヴィン家の名前が世に出されることはなかったことだ。それどころか家族は自分たちが研究の要になっていたとは露ほども知らなかったという。
本書で私が最も心を揺さぶられた箇所は、メアリーがなぜここまであからさまに家族について語ったか説明するところだった。彼女はあまりに悲惨に思える家族の歴史を恥ずかしいものと捉え、長年秘密にしてきた。しかし徐々に、自分たち家族の経験が、同じように苦しみを抱える他の人々の人生を良いものに変えうる物語になるかもしれないと思い至る。
隠れされていた一家の悲劇が、明るい場所に引っ張り出され、家族で共有され、そして社会と共有されていく。それは「なぜここまで書くのか」と2冊の本を読んで感じた疑問への答えでもあろう。
その後、武藤さんは私にとって「武藤先生」になった。東京大学の武藤研の門戸を叩き、修士号を取り、現在は博士課程に在籍している。
私の修士論文の研究テーマは「遺伝的リスクの告知と結婚・出産の意思決定──ハンチントン病を手がかりに」であった。遺伝的リスクが結婚や出産の意思決定にどう関わっていくのかについて、当事者にインタビュー調査した。
リスクを知ることと知らないこと、それを伝えることと秘密にしていること、正常と異常の違い、選ぶことと選ばないこと──。
そこにあるものを『ウェクスラー家の選択』と『統合失調症の一族』の2冊は問いかけたが、それは今は私自身の問いでもある。ノンフィクション作家として、研究を志す者として、そしてひとりの人間として、考え続けていきたいテーマとなった。
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