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【人質家族 独占手記】「あの時、私と一緒に過ごそうと言っていたら...」ハマスのテロに遭遇したアメリカ人家族の苦悩

ニューズウィーク日本版 / 2023年11月7日 13時0分

解放された直後のラーナン親子。10月20日にハマスはカタールの調停努力に応じたと発表した(写真はロイターが20日にイスラエル政府から入手) GOVERNMENT OF ISRAELーREUTERS

<「全ての人質を取り戻す日まで」...解放されたアメリカ人の家族が世界に訴える、愛する人を暴力的に奪われた果てしのない悪夢について>

私はイスラエルに住んでいる。政治家でも軍事専門家でも評論家でもない。私はサライ・コーエンという名の1人の母親であり、妹であり、叔母である。

この原稿を書く手は震え、頭の中がぐるぐると渦巻いている。10月7日にイスラエル南部で壊滅的な大虐殺が起きた時、私の姉ジュディス・ラーナンとその娘ナタリーがイスラム組織ハマスの人質になり、先日、解放された。

しかし、悪夢は終わっていない。だからこそ私たちの経験を共有しなければならないと感じている。

7日土曜日の早朝に空襲警報のサイレンが鳴り響き、キブツ(農業共同体)のナハル・オズがハマスのテロリストに襲撃されているという狂乱したテキストメッセージが届いて、私たちはとてつもない不安に引きずり込まれた。

何もかも現実とは思えなかった。ロケット弾が飛んできたとき、ジュディスとナタリーは米イリノイ州エバンストンの自宅からイスラエルに来ており、南部のキブツを訪れていた。ロケット弾から避難するための隠し部屋に駆け込んだが、テロリストの地上の襲撃には無防備だった。

午後12時18分、2人と連絡が途絶えた。

私たちは警察や軍など思い付く限りのところに連絡して、家族の無事を確認してくれるように懇願した。しかし、虐殺は現在進行形の危機だった。
銃を持った男たちが暴れ回り、罪のない人々をレイプし、拷問し、殺していた。イスラエル側の治安部隊はとにかく反撃しなければならず、市民を救出する余裕はなかった。

安堵と感謝と苦悩の涙

午後10時半にようやく、私たちは情報の断片をつなぎ合わせ、何が起きているのか状況が見えてきた。

姉たちが滞在していた家にテロリストが押し入ったのだ。彼らはドアを蹴破った。そこらじゅうにガラスの破片が散乱し、服や化粧品が床に投げ出されていた。しかし、2人はどこにもいなかった。

遺体らしき痕跡もなく、携帯電話もパスポートもなくなっていた。彼らが拉致されて、生きているとしてもガザ地区で人質になっていることを私たちは理解した。

夜ふと目が覚めて、姉のさまざまな姿を思い出した。コーヒーを飲む姉、2人で子供時代の思い出を語り合ったこと。庭に座ってたわいもない噂話を交えながら、困難なときも互いに支え合ったこと。

もしあのとき......そう考えると私は胃がねじ切れそうになった。もし私が、土曜日の午後にナハル・オズへ迎えに行くと約束するのではなく、北部の私のキブツで一緒に過ごそうと強く言っていたら。そうしたら姉たちは無事だっただろうか。

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