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「歴史は繰り返す」は正しくない...高坂正堯、30年越しの「新作」から考える「歴史を学ぶ」の本当の効用

ニューズウィーク日本版 / 2023年12月6日 10時50分

ガザ地区で苦境のただなかにいるパレスチナ人との連帯を示す人々(11月18日、アイルランド・ダブリン) Clodagh Kilcoyne-REUTERS

<冷戦終結直後の1990年に行われた、幻の講演録「歴史としての二十世紀」がこのたび文字に起こされた。現在と未来、そして歴史をどう学ぶのか?>

将来のことはわからない

現在が非常に大きな転換点にある、一つの時代が終わりつつあるというのは誰もが感じていると思うが、そこから何が出てくるかはわからない。所詮、将来というのはわからないところがある。

しかも現在、共産主義は崩壊したけれども、では次の新しいアイデアは何かというのは出ていない。大きなアイデアが世界に通用しない、という否定的な面はわかっているが、こういう新しい理念でやっていくという理念が生まれているわけではない。

そういうときに将来がどうのこうのは推測でしかないので、したがって、今までに起こったことがいったいどういう風なものであったのかを整理しておきたい――。

1990年1月19日、高坂正堯はこのように述べて、今回の本の元になった6カ月にわたる講演を始めた。新宿紀伊國屋ホールで毎月おこなわれていた新潮社の文化講演会の1990年前期連続講演である。(録音音声は、LisBoで聴くことができる。上掲部分は試聴も可能。音声はこちら)

将来のことは、たしかにわからない。高坂は別の機会に、以下のように述べている。

人間というのは、10年先は見通せないと思っている。100年先は話が別で、現在誰かが何かを言って100年先の人が当たったところだけ読んでくれるので当たったように見える。しかし、10年先のことはわからない。

(高坂正堯「日本の立場――内なるものの視座」(国際日本文化研究センター編『世界の中の日本 II 国際シンポジウム 第2集』1990年)) 

いや、10年後だけでなく、1年後も1か月後も確たることはわからない。昨年来のロシア・ウクライナ間の戦争がいついかなる結末を迎えるのか、定かではない。したがってまた、今後の国際秩序や大国ロシアのあり方がどうなっていくのかも不明である。

『歴史としての二十世紀』は今回、宣伝文句などから察するに、ロシア・ウクライナ間の戦争を機に刊行が計画されたはずである。しかしそれが世に出るころには、イスラエル・パレスチナという別の巨大な国際問題も前景化していた。

まさに、「そこから何が出てくるかはわからない。所詮、将来というのはわからないところがある」との言が似つかわしい状況である。

歴史は現在・将来を語るか

では、歴史を学べばそれで将来を見通せるようになるか。あるいは、現在について確たることを語れるようになるか。残念ながら、必ずしもそうでもない。

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