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「日本語ロック」と「韓国語ロック」はなぜ同時期に誕生したのか?...「はっぴいえんど」と「シン・ジュンヒョン」の1970年代

ニューズウィーク日本版 / 2024年2月10日 10時5分

その「新しさ」は、1970年代を通して次つぎと登場したシンガーソングライターがつくり出した「ニューミュージック」によって拡張していった。はっぴいえんどのメンバーである細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂、松本隆がそれぞれ及ぼした影響も大きかった。

とくに、「シティ・ポップ」の誕生過程におけるその役割は絶大なもので、南佳孝の『摩天楼のヒロイン』(1973年)、シュガー・ベイブの『SONGS』(1975年)、センチメンタル・シティ・ロマンスの『センチメンタル・シティ・ロマンス』(1975年)、小坂忠の『ほうろう』、吉田美奈子の『Flapper』(以上、1976年)、山下達郎の『Spacy』(1977年)など、「シティ・ポップ」の幕開けを告げた数々の作品に、彼らはプロデューサー、作曲家、作詞家、演奏家、制作者として参加している。

それと同時に、大瀧詠一の『A LONG VACATION』(1981年)のように、彼ら自身も名盤を世に送り出していった。細野晴臣が坂本龍一、高橋幸宏と結成したYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)がアメリカ活動を本格化したのは、はっぴいえんどのデビューから十年後となる1979年であった。

YMOの音楽は、アメリカのロックを受容・融合して生まれた「日本語ロック」をさらに電子楽器と融合させた「テクノ・ポップ」を特徴としていた。

彼らのサウンドと感覚は、同じく1979年に誕生したソニーの「ウォークマン」のように、新しい「日本らしさ」を象徴するものとして世界に認識された。「日本語ロック」の誕生過程は、J-POPの原点でもある「現代日本」のサウンドとスタイルの構築過程ともいえる。

  

韓国ロックの父・シン・ジュンヒョン

韓国においても、ほぼ同時期に「韓国語ロック」が誕生していた。その代表的人物は、「韓国ロックのゴッドファーザー」と呼ばれるギタリスト・作曲家シン・ジュンヒョン(신중현)である。

日本の坂本九(1941年生まれ)と同世代といえる1938年生まれのシン・ジュンヒョンは、50年代に米軍基地舞台で学んだアメリカのロックを受容・融合したさまざまなグループ・サウンズを通じて、「韓国的なロック」をつくり出した。

彼が率いるロックバンドAdd4が発表した1964年の曲「雨の中の女人」は、「韓国語ロック」の原点となる名曲としていまも評価されている。

1970年代は、シン・ジュンヒョンに続いて登場したシンガーソングライターが「韓国語ロック」を確立させた時代であった。

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