マゾヒスト女性はその行為を真に欲望しているのか、それとも男性優位社会の社会通念を内面化した「被害者」なのか
ニューズウィーク日本版 / 2024年4月24日 11時0分
河原梓水(福岡女子大学国際文理学部准教授) アステイオン
<「良い人」は絶対にDVをしない? 被害者が語る「優しい加害者」を全面否定することの暴力性に関する、新しい議論について>
私はマゾヒストであり、この男性から完全に支配されることを望んでいます、と主張する女性がいたとする。私はサディストであり、この女性を縛り、鞭打つことを「愛情行為」として実践しています、と主張する男性がいたとする。これらの行為には同意があるとしよう。これらは、いわゆる「SM」と呼ばれる実践に当てはまる。
対等な成人同士による、同意の上の行為については、それがたとえ一般的な社会通念に沿わないものであっても尊重されるべき、という考えは、現在それなりに支持を得ている。しかしそうはいっても、支配や暴力行為に対する同意については、なんとなく不安を覚えることが多いはずだ。
そもそもその同意は本当に本人の意思なのか。男性のほうがかなり年上で社会的地位もある場合、女性の同意は信じられるのか。そもそもどのような関係が真に対等な関係と言えるのか。本人の気づかないうちに、誘導されているのではないか。そもそも、なぜ支配や暴力などを欲望するのか。そんな欲望を抱くこと自体が、何らかの病の症状なのではないか...そんな疑問が浮かんでくるはずである。
私が取り組んでいるSM研究は、親密な人間同士の対等性と同意、そして同意能力の確かさをめぐって浮上するこのような問いを中心的に論じてきた学問分野である。
なかでも女性マゾヒストの存在は争点のひとつであり、彼女たちは真にその行為を欲望しているのか、それとも単に、男性優位社会の社会通念を内面化しただけの「被害者」であるのかが、これまで問われてきた。
『歪な愛の倫理 〈第三者〉は暴力関係にどう応じるべきか』(筑摩書房)は、このようなSM研究の諸課題と深いかかわりをもつテーマを論じている。本書は、DVや虐待など、親密な人間の間で生じる暴力関係のうち、被害者が加害者から逃れないという事態に関する、通説的理解の再考を主張する本である。
副題の〈第三者〉とは、福祉・医療職に従事する、被害者を制度的に支援する立場の人々が主に想定され、終章を除いて、制度上の課題が中心的に議論されている。
従来、暴力の被害者が加害者のもとに留まる理由としては、経済的理由や、家族は一緒にいるべきだという規範意識、長期間の抑圧によって抵抗の意思を喪失した無力化状態、洗脳、「暴力のサイクル理論」など、十分説得的に思われる仮説が提示されてきた。
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