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自分が生み出す「抜けた体毛、排泄物、垢、体臭...」を記し続けてわかったこと

ニューズウィーク日本版 / 2024年5月1日 11時5分

ILLUSTRATION BY MOOR STUDIO/GETTY IMAGES

酒井朋子(京都大学人文科学研究所准教授) アステイオン
<3年間つづり続けた「汚さの記録」が明らかにした人間の日常の営みとギリギリのバランス、そして「汚穢(おわい)」について> 

日々のきたなさと乱雑さの記録

「きたない.docx」と題したファイルを作ってから3年ほどになる。日々の生活のなかのよごれや乱雑さについて、あるいはそれらに対する自分の反応を書き留めていく記録だ。

なぜそんな記録をとり始めたのかと言えば、「汚穢(おわい)の倫理」という研究を始めることになったからである。研究仲間とともに生活の現場について考える研究会を起こそうとしていたとき、新しい視界をひらいてくれそうなテーマとして浮かび上がったのが「汚穢」だった。

これまで汚穢に関する重要な研究は、死の象徴体系を検討するケガレ論や、近代市民社会や国民国家の形成過程における「清潔な主体」構築を分析する歴史社会学において重ねられてきており、今なおそれらの知見の重要性は揺らいでいない。

しかし生活の現場に這おうとするからには、また別の焦点を定める必要がある。そのために、ためしに始めたのが上の記録だった。

なおこの研究の成果は、『汚穢のリズム──きたなさ・おぞましさの生活考』(左右社、2024年)として刊行している。体臭、体から漏れ出るもの、傷、空間の片付かなさなど日常経験から出発し、都市空間の分断や、命をはぐくむ「にごり」等についても考えていく本である。

「けがれたもの」の象徴性と隔離にかかわる権力のしくみ、という従来の問題意識を引き継ぎつつ、人が「きたないもの」「おぞましいもの」と一体化したりそこから距離をとったりしつつ、長期的にかかわりながら生活を紡いでいく様子を描き出した。

そして汚れと乱れの生活記録は、研究が進んでいく過程で重要なアイディア源となったのだった。

生きる身体への忌避と愛着

この記録行為を通じて実感されたことがいくつかある。

まず、とにかく時間がかかった。書いても書いてもきりがない。

排泄、入浴、着替え。ごみや不要物への向き合い方。片づけ、掃除、洗濯、皿洗い。共同生活する子どもの身体ケアなどなど(わたしの家では、いわゆる「家事」と育児は、成人がほぼ均等割で担っている)。予想外に多様な作業が記録の対象として浮かび上がった。

時間がかかったのは、記録スタイルのためもあった。たとえば「掃除」にしても、この言葉ひとつで済ませては何も見えない。自分がその作業のなかで、何にどのように触れ、何を変えたのか、その内実を「ひらいて」書いていかなくては新しい気づきは浮かばない。

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