アウシュヴィッツ収容所の隣、塀のこちら側のファミリードラマ『関心領域』
ニューズウィーク日本版 / 2024年5月23日 17時40分
だから、誕生日を祝われたときも、建設会社の重役と会っていたときも、寝室で妻のわがままを聞いていたときも、転属のことで頭がいっぱいになっていたと想像することができる。
しかし本作で、ある意味でルドルフ以上にアウシュヴィッツに執着しているのが、妻のヘートヴィヒであり、緻密な脚本がそれを際立たせる。
ルドルフが妻に転属を伝えようと思っているタイミングで、彼女の母親が訪ねてきて、滞在する。ヘートヴィヒは母親を連れて、自分で設計から植栽まで手がけ、プールや温室や東屋まで備えた自慢の庭を案内する。
ヘートヴィヒはどんなことがあってもその楽園を手放すつもりはない。だからルドルフは、ひとりで家を離れ、ベルリン北郊のオラニエンブルクにある強制収容所監察局に副監察官として迎えられ、全収容所の所長を束ねることになる。
そのファミリードラマの結末
グレイザーがそんな緻密な脚本で狙っているのは、たとえば、サバービアを舞台にしたジョン・チーヴァーの短編小説のような物語を語ることだ。郊外で夫婦が幸せに暮らしていたが、組織に帰属する夫は転勤が避けられず、家に執着する妻との関係が悪化し、夫婦はその先どうなるのか、といった物語だ。
本作の塀で隔てられたふたつの世界の対比が生み出す異様な空気や緊張が、ルドルフの転属によって舞台が変わっても失われず、むしろ増幅されていくのは、夫婦のファミリードラマと描かれないホロコーストが一貫して対比されつづけるからだ。
そのファミリードラマの結末は気になるところだが、グレイザーは、歴史を捻じ曲げることなく、ハッピーエンドにまとめてしまう。というのも、転属後のルドルフには、彼の後任としてアウシュヴィッツの所長となったリーベヘンシェルが降格されたときに、再び所長に就任した事実がある。本作ではそれが、家族が再びひとつになることを意味する。
グレイザーが、そんなファミリードラマと決して切り離せないものとして、われわれに想像させるホロコーストには、言葉にし難い恐怖がある。
『関心領域』
公開:5月24日より新宿ピカデリー、TOHO シネマズ シャンテほか全国公開
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