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日本人の「自由」へのこだわりとは?...ジョージア大使が考える「共通点」と「相違点」

ニューズウィーク日本版 / 2024年6月13日 13時45分

2022年の第1回パレードに参加したアダムズ市長(左)と中国総領事の黄 COURTESY OF THE OFFICE OF THE MAYOR OF NEW YORK

ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)
<地政学的に厳しい環境で自らのアイデンティティを守り抜いてきた歴史を持つ、ジョージア人との共通点を感じざるを得ない理由。そして大使の「仕事の悩み」(?)についても...>

ジョージア人と日本人には共通点が多いということをかねてから、私はあらゆる所で公言してきた。その共通点の1つが自由に対する「こだわり」だ。

そのことを改めて考えさせられたのが、4月上旬からジョージアの首都トビリシで連日起きた、大規模デモである。

外国からの資金の流れの透明化が目的とされた「外国の代理人」法案に対して、国民が拒絶反応を示したのがこのデモである。ジョージアは日本と比較すると、普段からデモの多い国ではあるが、今回はいつもと違った雰囲気であった。

実はちょうどその1年前にも与党が同様の法案を強行に可決しようと試みたのだが、そのときは反対デモによって頓挫した。そして、それを蒸し返すように似たような法案を与党が発表したことに対して国民が怒りをあらわにしたのが、今回のデモの背景である。

このデモの本質を理解するには、ジョージアの歴史とジョージア人の国民性の説明が必要だ。

ジョージアは地政学的に極めて厳しく、恵まれない条件の下に今も歩み続けている。それゆえ自らのアイデンティティーを守るための知恵を振り絞ってきた、長い歴史がある。こうして自らの手で自由を死守してきたからこそ、自由に対するこだわりが非常に強い国民性を備えるようになったのだ。

そんなジョージア人と日本人に、自由に対する共通点が本当にあるのか? と、不思議に思われるかもしれない。実際に私も「日本人は会社によく尽くし、長時間残業もいとわずよく働き、多くのルールを守るなど、全く自由ではない」と反論されることがよくある。

確かに自由に対するアプローチは違うのかもしれない。しかし、自由を愛することや自由への希求、つまり自由を願う両国民の姿勢はよく似ていると常々思ってきた。

日本人の自由に関する姿勢や考え方の特徴を捉えているものとして、私が非常に参考にしている言葉がある。それは「自由のなさが自由」である。これは10年以上前、私が当時住んでいた早稲田大学の学生寮内の道場で見た言葉だ。

つまり、さまざまな制約の中にあっても、その制約に自らが支えられながら自由を探求し続けるのが日本人なのだ、と私は認識している。

いつも「忙しい」と不満を漏らしている人も、自分がその状況にあることが実は好きである人は珍しくない。しかし、それは決して「現状に甘んじる」という話ではない。

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