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パリで成功をつかんだ日本人調香師、新間美也「まず詩を書いて、その目標に向け調合する」

ニューズウィーク日本版 / 2024年6月19日 13時30分

日本で調香師の育成事業も

新間さんのもう1つの使命感は、日本の香水分野に貢献することだ。1998年、故郷の静岡にアトリエ・アローム&パルファン・パリというスクールを設立し、香りの美学や魅力を伝え、主に趣味としての調香技術を指導してきた。2013年からは、珍しい企画の香りのコンテストを開催している。応募者が作ったオリジナルフレグランスを評価し、最優秀賞の香水は製品化して贈呈する(販売可能)特典が付いている。スクールでは、今後、調香師として働きたい人へのレッスンを強化していくそうだ。

パリと日本を行き来し、日曜日や祝日も働くこともある。長期休暇は夏の2週間と、クリスマス前後の1週間で、一般的なフランス人の休暇よりもだいぶ少ない。

そんな多忙な状況にあっても、「とにかく香りに囲まれていることが幸せです。特に好きな香りはなく、香料は全部好きです。香水にあまり興味がない人たちには、香水という芸術作品をきっかけに、生活の中の香りに興味をもっていただけたらと思います。フランス人は香りに敏感で、いつでも香りを楽しんでいます。香りに気を配ることで、きっと生活が豊かになるでしょう」と言う。目を輝かせて香りの魅力を語る姿は印象的だ。

自分のブランド化は、父親の影響も受けた

市場に香水があふれている今、自分のブランドを長年販売し続けるのは、並々ならぬ努力がいる。新間さんの自分軸がぶれなかった背景には、京都で生活し、日本の古い文化に慣れ親しんだ経験もあった。京都の建物や食べ物、自然や空気といった香りを知っていることは、日本への関心が益々高まっているヨーロッパで「自分の香水は気に入ってもらえるはず」という自信の拠り所になった。

新間さんは、2つの事業を起こした父親の姿にも刺激を受けたという(母親も起業家だった)。父親は人脈がとても広く、他界した時、1000人以上が葬儀に参列した。参列者たちの職業は実に様々で、誰とでも分け隔てなく接していた父親の生き方とビジネスへの姿勢を改めて知った。新間さんは、そんな非常にオープンマインドだった父親を尊敬しながら、自分の香水ビジネスにおいては父とは異なる立場を取っていると説明する。

「父は自分のスタイルをもつことが大事だと教えてくれました。とすれば私の場合は、香水を提供する目的や、どういう人たちにファンになってほしいかというビジョンをしっかりと定めて、ブランドイメージを確立しなくてはと思ったのです。香り自体は見えないので、瓶やパッケージ(漆の箱や着物の生地など)も含めて他の香水との差別化を図り、Miya Shinma Parisのアイデンティティを知ってもらうにはどうしたらよいかを常に考えています」

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