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文章は映像よりも「上から目線(エラそう)」?...贅沢品になった「使えない知」延命のヒントとは

ニューズウィーク日本版 / 2024年7月17日 11時9分

過去数十年で日本の20代・30代の投票者数は激減している tnehala/photoAC

大尾侑子(東京経済大学准教授) アステイオン
<ドラマ『不適切にもほどがある!』でも描かれたように文化・風俗が大きく変わった38年間。実生活から乖離した「知的ジャーナリズム」に再生の道はあるのか──『アステイオン』100号の特集「知的ジャーナリズムの挑戦」より「 "『アステイオン』を抱えて歩くとカッコイイ"時代は来るのか?」を転載> 

勤務校の所属学部では、毎年「優秀卒論・卒制発表会」という行事がある。各ゼミから優れた卒論、卒業制作が一点推薦され、選ばれた学生が教員らの前でプレゼンテーションをおこなう。

卒制は映像作品が中心で、プロ顔負けの動画も珍しくない。なかでも、2023年度の推薦作品のうち「泣く」という行為から自分自身と向き合った約6分間の短編映画が印象的だった。

監督、主演、ナレーション、編集すべてを一人でこなし、プライベートな姿をこれでもかと曝け出すさまに圧倒された。

余韻が消えないまま、私は作者のもとに駆け寄り、「映像作品も卒論とは別の魅力があって良いですよね」と興奮気味に伝えた。すると彼女はこう言った。

「たしかに、同じメッセージを伝えようとしても、どうしても文章って映像よりも "上から目線"になっちゃいますもんね」。

2001年生まれ、春から社会人になる彼女の言葉に触れ、まっさきに想起したのが、この『アステイオン』の原稿だった。

◇ ◇ ◇

そもそも今回の依頼は、本誌「創刊当時の議論を再検討し、『アステイオン』を含む知的ジャーナリズムの今後の役割について考える」、「1986年当時の雰囲気を味わいながら、38年を回顧し、論壇のこれからを検討してほしい」というものだ。

1989年(平成元年)生まれの私にとって、1986年は「歴史」の一部であり、もちろん「当時の雰囲気」など知らない。

不勉強を承知で言うが、依頼を受けるまで『アステイオン』の存在も知らなかった(1984年に創刊された岩波書店の雑誌『へるめす』は手に取っているが)。

それに「知的ジャーナリズム」と「論壇(誌)」はイコールなのだろうか? モヤモヤしているうちに、秋が過ぎ、気づけば作業の手が止まったまま新年を迎えた。

そんな折、2024年1月から宮藤官九郎オリジナル脚本の金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系、以下『ふてほど』)がはじまった。

"意識低い系タイムスリップコメディ"を掲げる本作は、ひょんなことから令和の世にタイムスリップした「昭和のダメおやじ」こと小川市郎が、「不適切」発言の数々で現代社会をかき回す物語だ(次第に明らかになるが、物語には阪神・淡路大震災というテーマが横たわる)。

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