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伝説的なジャーナリストが「戦場」で学んだ教訓...「危機」に陥ったとき、まず確保すべきものとは?

ニューズウィーク日本版 / 2024年7月6日 12時46分

──現在、紛争地域を取材している報道陣に何かアドバイスは?

しっかり計画を立てること。私がイラクやアフガニスタンで取材していた頃は、あまりに危険なので各社がフルタイムの安全保障顧問を雇っていた。顧問は退役軍人だったが、彼らが持ち込んだのは銃火器ではなく軍事的経験だ。オフィスを出るときは、イスラム主義組織タリバンやIS(イスラム国)の道路封鎖や路肩爆弾に出くわしたらどうするか、考えられる状況について常に戦略を立てた。

常に車2台に分乗し、先行車には現地スタッフが乗った。トランシーバー2台をフロントシートの下に隠しておいた。外国人は2台目に乗り、1台目にはスマホやIDカードなど現地スタッフと私たち外国人をつなぐものは一切持ち込まなかった。この手順は業界標準となり、最善の慣行になりつつある。計画と現地の人々の専門的なアドバイスが全てだ。

脳腫瘍の宣告を受けた直後にパートナーのレイラと COURTESY OF THE AUTHOR

──特派員生活で特に印象的な出来事は?

2018年にニューヨーク・タイムズの特派員としてアフガニスタンのシーア派が大部分を占めるジャゴリ地区を取材したときのことだ。タリバンが同地区を完全に包囲し、ジャゴリへの道は危険すぎて誰も使えなかった。ジャゴリをタリバンの攻撃から守るべく、アフガニスタン政府は特殊部隊を派遣。私が支援団体をアフガニスタン各地に運ぶ小型機に同乗し何とか現地入りしたとき、最悪の攻撃が始まろうとしていた。

まさに報道カメラマンが自分たちの重要な心構えとして、(ピントがシャープな絞りの)F8(エフエイト)に掛けて言う「運命(フェイト)でそこにいる」状態だった。私たちは政府の地区司令部ビルにいた。戦況報告のために派遣されていた役人は「万事順調」の一点張りだった。死者は多少いるが大したことはなく、ジャゴリ陥落の噂は皆タリバンのプロパガンダだ、と。

私たちは階段の一番上にいて、正面の巨大なガラス窓から下の駐車場が見えた。駐車場には特殊部隊のピックアップトラックが次から次へとやって来て、その荷台には多くの遺体が積まれていた。戦争の流れを変えると信じる米軍の特殊訓練を受けたアフガン兵たちの遺体だった。

トラックに山積みになった遺体を降ろしながら、戦死した兵士たちの同僚や友人たちの多くはすすり泣いていた。結局トラックは4~5台やって来て、吐き出された遺体はほこりだらけの駐車場に並べられた。その間も役人はジャゴリでは犠牲者はほとんどおらず、特殊部隊は一人も死んでいないと言い続けていた。

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