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【写真特集】積み重なる風景~「陰と陽」が過去から背負うもの

ニューズウィーク日本版 / 2024年9月2日 11時23分

<新刊写真集>
『かぜとつちと x elements』 (赤々舎)
写真・執筆:紀 成道
デザイン:中島 雄太
言語:日英併記
9月24日(火)各書店で発売
(下記の写真展会場で先行販売予定)

<写真展>
『風と土と x elements/Earth』
会期:2024年9月3日(火)〜9月16日(月)
時間:10:30-18:30(日曜休館 最終日は15:00まで)
会場:ニコンサロン(東京・新宿)
詳細は上記リンク先をご覧ください。

 【連載20周年】 Newsweek日本版 写真で世界を伝える「Picture Power」
    2024年9月10日号 掲載

【山陰】山陰は風土記にも記される鉄の産地。古来の製鉄「たたら」で、江戸時代には分業も進み、いわゆる企業城下町を形成した。中でも島根県は一大産地で、松江藩鉄師頭取を務めた田部家では当主のお祝いに村総出で大きな餅をつき、にぎわった。現在は林業、食料品製造業、観光業にも力を入れ、雇用を維持しながらの地域活性化に熱が入る。(古写真協力:吉田交流センター)

【山陽】瀬戸内海沿岸の新工場稼働にともない、技術者や労働者が関東や西日本の各地から集まった。住宅を確保するため山を造成し、社宅や社員寮などが次々と建てられた。1962年に広島県福山市が出した報告書では、1960年と70年を比較して人口2倍、工業生産額10倍、所得6倍と推算。現在、団地は姿を消し、戸建ての住宅が広がる。(古写真協力:伊勢丘小学校)

【山陰】たたら製鉄では必要な砂鉄を採取するために、山を削って水の流れで比重の軽い土砂と重い砂鉄を選鉱する「鉄穴(かんな)流し」が至る所で行われた。江戸時代には、採鉱が終わっても荒地を放棄せず、ソバやかぶを植え、牛馬の放牧を行って土づくりし、田畑として活用する持続可能な産業を構成していた。(古写真協力:宍戸俊悟氏と三沢公民館)

【山陽】山陽は高度成長期に工場が次々と瀬戸内海沿岸へ誘致された。広島県福山市では世界最大規模となる日本鋼管(現・JFEスチール)の製鉄所が1960年代に稼働。最新技術がつぎ込まれ、技術者は試行錯誤を重ねて安全操業と品質向上、高効率化を進めた。粗鋼生産量で日本一の製鉄所となり、2013年度には累計で世界初の4億トンを超えた。(古写真協力:JFEスチール)

【山陰】1920年代、島根県東部に開業した広瀬鉄道。月山富田城の城下町で栄えた広瀬地区に住民が計画し、全線電化の路線だった。高度成長期のモータリゼーションの進展や地域の過疎化により、乗客や貨物が減少し、老朽化した施設を更新できず廃線に。橋脚の一部が残る程度となっている。沿線には庭園で世界的に有名な足立美術館ができた。(古写真協力:山本巖氏)

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