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オーストリア総選挙で「ナチス礼賛」の自由党が第1党、背景にコロナ禍で政府の規制より「個人の自由」を擁護

ニューズウィーク日本版 / 2024年10月10日 17時24分

Ivan Marc -shutterstock-

ポール・ホッケノス(ベルリン在住ジャーナリスト)
<欧州を席巻する極右勢力は今や「体制側」の存在だ。最近もドイツ東部やオランダで極右が躍進しており、オーストリアもその流れに加わった形。欧州の右傾化が新たな次元に>

欧州を席巻する右傾化の波が9月29日、さらに加速した。オーストリアの総選挙で極右政党「自由党」が初めて第1党に躍り出たのだ。

イタリアやスロバキア、クロアチア、ハンガリーなど多くのEU加盟国で反自由主義かつ権威主義的な主張を掲げる極右政党が既存の政治体制を揺さぶっている。最近もドイツ東部やオランダで極右が躍進しており、オーストリアもその流れに加わった形だ。

自らをナチスの表現である「人民宰相」と呼ぶヘルベルト・キクル党首率いる自由党は29%の票を獲得。一方、中道右派の与党・国民党は26.5%に下落し、野党・社会民主党も21%にとどまった。

ただし、自由党も単独政権を樹立できるほどの議席数には届いていない。複数の中道政党が手を組み、小政党とも連携すれば、政権に必要な過半数を取れる可能性もある。

それでも、自由党は今や同国政界の中心的な存在だ。キクルは選挙期間中に「オーストリアの要塞化」を約束。移民の流入を阻止し、外国ルーツの市民の「再移住」(つまり国外追放)を推進し、教育制度を一新し、公共メディアを中立化させると訴えた。

自由党の躍進はコロナ禍のおかげでもある。自由党は当時、政府の規制より個人の自由を擁護する唯一の存在だった。コロナ関連の陰謀論も、非合理的な主張を展開する自由党の追い風となった。さらに政府自身も、4度の全土ロックダウンや違反者への厳罰を強行して不興を買った。

自由党は欧州極右の歴史の中でも特異な立場にある。2000年に国民党との連立政権に加わると、冷戦時代から続く保守と社会民主主義の二大政党制が崩壊。欧州で極右が普通の存在として受け入れられる契機となった。

当時、同党のカリスマ党首イェルク・ハイダーが首相に就任する可能性もあった。この前代未聞の事態を受け、EU諸国は同国に制裁を科した。民主主義を脅かす政党を容認すれば、各国で類似勢力が台頭すると懸念したのだ。

平均的な人が極右に投票

実際、その懸念は現実のものとなった。自由党が17年に再び政権に返り咲いたときには、もはやEUからの反発は起きなかった。

ただし、この国民党との連立政権は2年足らずで崩壊した。自由党党首のハインツクリスティアン・シュトラッヘ副首相がイビサ島(スペイン)の貸別荘の一室で、ロシア人女性に利益供与を約束する姿が隠し撮りされたためだ。

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