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【私らしく書く】「自分のこと」を書きたいが...人気エッセイストの「ネタ切れ」しないための習慣

ニューズウィーク日本版 / 2024年10月31日 16時50分

とはいえ、ギリギリのところを試しているような感覚はあります。笑いは行きすぎると残酷なところがあります。それは、やりすぎになります。『義父母の介護』(新潮社)も、最後の段階で削りました。連載時の原稿をまとめた一冊だったのですが、連載時の文字数では笑えた展開も、それが1冊になると徐々に笑えなくなってきます。つまり、笑いが多くなりすぎると疲れてしまうのです。

笑いも難しいところがあります。出すぎると毒になります。毒もまたシャープでいいのですが、エッジが立ちすぎてしまう可能性もあります。すべて理解して笑ってくれる人の数は減るでしょう。そんなことを考えながら、担当編集者と相談して、気をつけて調整しました。

『義父母の介護』では、担当編集者には、私の文章のなかに客観的に見て痛い表現があれば、全部指摘してほしいと伝えました。自分が暴走していないか、こう見えて常に心配しているのです。もし仕事相手が若い編集者なら、しつこいくらい頼みます。若い人だと私に遠慮して言いにくいかもしれないから、最初にお伝えします。

エッセイは自由勝手に書くものではない

エッセイというと、自由に、勝手に書いていいものと思われるかもしれません。でも、完全に自由に書いて許される人なんて、一部の認められた大家だけだと思います。

私のような書き手ならば、編集者が求める依頼に合わせて、きちっと決まった文字数のなかで、どれだけ自然にやるかにかかっています。まったく違うもののように思えるかもしれませんが、夏休みの作文と同じです。課題に沿って書くのです。

エッセイを大量に書くようになって、翻訳も速くなりました。文字に対する耐性がついたのだと思います。大量の文字を処理することにも慣れました。

でもここからが本当に大事なことなのですが、何事も反復練習が命なのです。エッセイも、そして翻訳も。私の翻訳の実力を10としたら、7は繰り返しによってつくられています。反復練習ができるかできないかということだけだと思います。

私はどちらかといえばできないほうの人間ですが、必要に迫られたからできたということでしょう。エッセイの発注をこなすことと、ノンフィクションを訳すことで、鍛錬を積めたと思っています。両者は密接につながっています。

◇ ◇ ◇

村井理子(むらい・りこ)

翻訳家/エッセイスト 1970年静岡県生まれ。滋賀県在住。ブッシュ大統領の追っかけブログが評判を呼び、翻訳家になる。現在はエッセイストとしても活躍。

著書に『兄の終い』 『全員悪人』 『いらねえけどありがとう』(CCCメディアハウス)、『家族』『はやく一人になりたい!』(亜紀書房)、『義父母の介護』『村井さんちの生活』(新潮社)、『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(大和書房)、『実母と義母』(集英社)、『ブッシュ妄言録』(二見文庫)、他。訳書に『ゼロからトースターを作ってみた結果』『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(新潮文庫)、『黄金州の殺人鬼』『ラストコールの殺人鬼』(亜紀書房)、『エデュケーション』(早川書房)、『射精責任』(太田出版)、『未解決殺人クラブ』(大和書房)他。

『エブリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』
 村井理子[著]
 CCCメディアハウス[刊]

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