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なぜジョージアでは「努力」という言葉がないのか?...日本の「頑張る」を再考する

ニューズウィーク日本版 / 2024年11月29日 17時5分

11月29日、中国の裁判所は、国営メディア「光明日報」の元編集者でベテラン記者の董郁玉氏(62)に対し、スパイ罪で懲役7年の判決を言い渡した。写真は同日、北京の第2中級人民法院(地裁)前で撮影(2024年 ロイター/Florence Lo)

ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)
<日本では頑張ることが評価されるが、ジョージアでは「世渡り上手」が評価される?...日本育ちのジョージア大使が「努力」について改めて考えたことについて>

学校や仕事で良い成績を取ったり、スポーツで上位の成績を収めるには努力が必要だ。「頑張れ!」と子供の頃から励まされ、成功者がいかに努力してきたかにクローズアップした成功談はメディアでもあふれている。

私自身、努力は自分の人生を支える教訓であり、小・中・高校時代から部活も勉強も一生懸命に励んできた。しかし、それは私の人格が形成される重要な時期に日本で育ったことに強く影響を受けているのではないかと思っている。

というのも、実はジョージアでは「努力」という言葉をほとんど聞くことがないからだ。さらに言うと、努力に相当する言葉がない。

最も近い言葉として「შრომა(シュロマ)」があるが、ニュアンスが少し異なる。畑仕事や工場での重労働に近く、不遇な環境で苦労に見舞われる人を連想させる言葉だ。

なぜジョージアでは「努力」という概念がないのかと、日本育ちの私は長年疑問に思っていた。ジョージア経済を成長させるためには、日本人のように残業をいとわず長時間働く必要があるのではないかと、政治家である叔父にかつて聞いたことがある。

すると叔父は「日本とは環境が異なるジョージアには、ほかにたくさん方法がある」と言う。そのシンプルで明快な返答に妙に納得させられたことだけは覚えている。

では、努力という概念が浸透していないジョージアには成功者がいないのか? そんなことはない。スポーツや芸術分野、またビジネスでも世界的な活躍をしている人々は多い。

ただし、「どんなことでも努力すれば達成できる」という日本に対して、ジョージアでは「何かを達成したければ努力する」という、目的と順序に違いがあるように思う。

日本人が「ジェネラリスト」であれば、ジョージア人は「スペシャリスト」タイプだ。日本人は国民全体の基礎的な能力が極めて高い。

例えば、事務処理能力を両国民が競えば、ジョージア人は完敗するはずだ。日本人はどんなことに対しても努力し、真摯に取り組む。

他方、ジョージア人は関心がなかったり、自分の利益に結び付かないことにはあまり注力しない。何に向いていて、何に向いていないかが子供の頃から重視されるジョージアでは、まずは才能の有無が前提だ。

従って、才能があって、さらに好きなことをしている人が、自分でつかもうと決めた「獲物」を瞬く間に捕らえるが故に成功するのだ。

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