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日本の総選挙とアメリカ大統領選、太平洋を挟んだ2つの国の「小さな正義」を考える

ニューズウィーク日本版 / 2024年11月29日 15時53分

総選挙の結果、自民党は議席を減らし、石破首相は少数与党に支えられて第2次内閣を発足させた。自民党にお灸をすえたという意味で正義が貫徹したと見るのか、自公内閣が存続したという意味で正義の問題は小さな出来事に過ぎなかったと見るかは、実は今後の政治を含む社会全体の動きに係わってくる。

裏金に係わった問題議員が当選したことによっていわゆる「禊(みそぎ)」が済んだという受け止め方をする人もいる。力が正義を凌駕すると言っているわけである。正義を力とともに置こうとするなら、忍耐強い持続力が必要だ。どうせ国民はすぐに忘れてしまうと高を括っている政治家諸氏の思惑に多少なりとも抵抗する意思があるなら、その持続力を忘れてはならない。それは小さな正義の実践だ。

それにしてもその正義は確かに小さい。早くもパワーゲームに翻弄されかかっている。だがそれは確かに存在している。処世術、利益誘導、権力欲、打算、忖度、国家百年の大計、目先の一票......。正義はこれらの激流に浮かぶ木の葉のように見えてしまうが、まだ川底に沈んではいない。また、沈むことを放置してもいけない。

広がらなかった共和党員の「小さな正義」

太平洋の向こう側に、興味深い共和党支持者(おそらく共和党員)がいた。彼は共和党のトランプ氏ではなく民主党のハリス氏を支持した。トランプ氏は、事実に基づかない言動を繰り返し(例えば「選挙が盗まれた」など)、あらぬ方向に選挙民を誘導した、それは正しくないことだ、ということらしい。道徳性を備えた人物の集合にこそ正義の存在場所が見いだされ、その社会の指導者にも道徳性が求められるという考えは、何ら不当なものではない。

だが、これも繰り返しになるが、正しいか否かだけが投票の動機になるわけではない。そのことは日本でもアメリカでも変わりない。しかし、アメリカには特殊な事情がある。それは人々が求める政治的指導者(大統領)のイメージの違いだ。アメリカでは圧倒的に強い指導者(大統領)が求められる。先ほどのパスカルの言葉を標準的アメリカ人に聞かせたら、おそらく間違いなくこんな答えが返ってくるだろう。

「強い指導者がいなければ(つまり力がなければ)、正義は守れない」

もちろん、逆に力だけが投票の動機になるわけではない。民主党とハリス氏のマイノリティーや中絶に対する政策等が逆ばねになってトランプ氏に有利に働いたという分析もある。トランプ氏を大統領にしなければ、アメリカを二分するような暴動が再び起きかねない、という変なトランプ支持論もあった。あるいは、「MAGA(アメリカを再び偉大に!)」という訴えが思いのほか響いたのかもしれない。だとしたら、少なくとも現時点ではアメリカは偉大ではないことをトランプ支持者も認めていることになる。

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