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日本の警察による「捏造」と「拷問」に迫った袴田事件のノンフィクション

ニューズウィーク日本版 / 2024年11月30日 17時50分

『姉と弟 捏造の闇「袴田事件」の58年』

印南敦史(作家、書評家)
<事件から58年。2024年9月26日、「袴田事件」の再審判決公判で、袴田巌さんに無罪判決が出た。袴田さんはいかにして「自供」させられたのか、獄中でどのような時間を過ごしたのか。壮絶な一冊>

「被告人は無罪」――。二〇二四年九月二六日、「袴田事件」の再審判決公判で、静岡地裁の國井恒志裁判長は確定死刑囚の袴田巌さんに無罪判決を言い渡した。事件発生から五八年、死刑が確定してから数えても四四年が経過している。途方もない長い歳月を費やして、八八歳の袴田さんは、ようやく青天白日の身となった。(「はじめに」より)

『姉と弟 捏造の闇「袴田事件」の58年』(藤原 聡・著、岩波書店)は、こうした記述から始まる。

一貫して無実を訴え続けてきた袴田巌さんと、弟を助けるために一生の大半を費やしてきた姉のひで子さんを軸としたノンフィクション。「袴田しかいない」と、半ば感情的に捏造を隠そうとする警察の姿勢、そして死刑という判決を下した裁判所の内側など、緻密な取材によって真実が明かされていく。

今さら説明の必要もないだろうが、1966年6月30日に静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼し、焼け跡から専務、その妻、次女、長男が刃物でめった刺しにされた死体が発見された事件である。警察は当初から、味噌工場の従業員だった元プロボクサーの袴田さんを犯人だと"決めつけた"。

一貫して罪を認めなかった袴田さんは、勾留期間満了直前に自白し、そののち公判において否認した。こうしたケースは少なくないが、詰まるところ、「そうするしかなかった」ということだ。

逮捕当日の取り調べは13時間8分、便器は部屋に持ち込まれた

例えば、静岡県警清水署の捜査本部は、国道を通る車の騒音が絶えず、冷房設備もない蒸し風呂のような六畳間ほどの取調室で袴田さんをとことん追い込む。

逮捕当日の1966年8月18日は、食事時間を除き取り調べは13時間8分に及び、翌日以降も午前8時半ごろから午後11時まで連日12時間を超えたという。しかも、深夜に留置場に戻ってからも疲れを癒すことはできなかったようだ。

「留置場に戻されまして、床につくんですが、かわるがわる酔払いを連れてきまして、隣の部屋に入れまして、それが一晩中騒いでいるんです。どなったり、叩いたり。それが、清水の留置場は地下みたいなところで上までがんがん響いて寝られる状態ではないです」(35ページより)

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