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江戸時代の「ブランディング」の天才! 破天荒な蔦重の意外と堅実なビジネス感覚

ニューズウィーク日本版 / 2025年1月6日 11時10分

蔦重版の吉原細見は、鱗形屋版よりも判型を少し大きくし、1ページあたりの情報量を増やすことで、ページ数を削減し、紙代を節約しています。鱗形屋版よりも格安で卸せたはずです。こうして、あっという間に蔦重版の天下となりました。吉原細見は年に2回、刊行しますから確実な定期収入となります。同時に、吉原細見に広告を付けたのも旧来の吉原細見にはなかった点です。蔦重は自分の版元から出す出版物が増えていくにつれ、逐次的に広告ページを増やしていきました。有力な広告媒体になったと思います。

蔦重は、黄表紙の出版にも力を入れていきますが、単価も安く、儲けはそこまで多くなかったでしょう。しかし、当時、黄表紙は注目の的となった絵本ですから、それを刊行している版元であることを世間に周知するために、宣伝効果を期待して出し続けたのだと思います。最先端の出版物を取り扱うことで、ブランドイメージが形成されて、取引に有利に働く。そういうブランディング戦略があったのだと思います。

また、吉原の行事に合わせた発行物も刊行しています。蔦重の最初の出版物とされる遊女評判記『一目千本(ひとめせんぼん)』は遊女の名前と流行の挿し花の図を合わせたものです。遊女の名前は網羅的なものではないため、吉原の行事に合わせて、配布用に作った冊子であったのでしょう。遊女や馴染みの客が出資して作られたものだと思われます。あらかじめ資金調達し、それで制作費用を賄っていたわけで、売れようが売れまいが蔦重の損にはならない。彼の堅実なビジネス感覚がうかがええます。『急戯花之名寄(にわかはなのなよせ)』や『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』も同様の経緯で成立したと考えられます。

その意味では、経営者としての蔦重は、極めて慎重な商売人でした。リスクを避けて、新しい分野に乗り出す際にもきちんと経営基盤を整えた上で行っています。例えば、江戸浄瑠璃の富本節(とみもとぶし)が流行した際に、すぐにその正本(しょうほん)・稽古本の出版を手がけたり、ほかには幼童向けの手習いに使用された教科書である「往来物」を出版したりするなど、確実に売れ続ける事業を行うことで経営の安定を図っているのです。

時代の流れを読む眼

安定的な経営基盤を築く一方で、黄表紙などの最新の流行物を出し、ブランドイメージを構築していく。そうなると、蔦重の周りにはさまざまな取り巻きができ、才能のある人間が寄り集まってきました。なかでも大田南畝の知遇を得たことは蔦重にとって大きかったことでしょう。大田南畝は、当時流行していた江戸狂歌と戯作の中心人物でした。南畝の求心力とそれを遊ばせる蔦重の手腕とが相まって、大きな文芸サークルのようなものが江戸に生まれるのです。そして、そこに集まる才能溢れる人間たちの作品を出版するというお膳立てをする。彼らの文芸的な遊びの最終地点に出版という仕掛けを用意したのが蔦重だったのです。

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