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内戦勃発から13年...シリア政権スピード崩壊の背景に「独裁者アサドの猜疑心」

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月18日 15時8分

政権崩壊後、レバノンとの国境近くでバシャル・アサドの肖像に反政府派が火を放つ SALLY HAYDENーSOPA IMAGESーLIGHTROCKET/GETTY IMAGES

ベンジャミン・バイマン(K2インテグリティ アソシエート)
<軍事クーデターを防ぐため軍部を骨抜きにしたツケ、ロシアとイランの支援が消えたら失脚は速かった>

シリアのアサド政権は12月8日の日曜にあっけなく崩壊した。

急展開の背景には、反政府勢力が戦闘能力を高めたこともある。反政府派を率いたシャーム解放機構(HTS)は自爆ドローン(無人機)や自作の巡航ミサイルを活用し、敵陣深く潜入して暗殺を行うなど独自の戦法を編み出した。

寄り合い所帯の反政府派が「打倒アサド」で一致団結したことも見逃せない。

だが世界を見渡せば、同レベルの手ごわい武装勢力を相手にしても、そう簡単には倒れず、反政府派の完全制圧に成功した政権すらある。

13年間続いたシリア内戦では政府軍のふがいない戦いぶりが目につく局面が多かった。政府軍がとうとうその根底的な弱さを露呈し、政権崩壊に至ったというのが実情だろう。

反政府派の攻勢を前に、大統領の座をあっさり捨ててロシアに逃げたバシャル・アサド。彼とその父親で前任者のハフェズ・アサドが最も恐れていたのは軍事クーデターだ。

父子にとっては、それを防ぐ措置が最優先だった。

中東では1945年以降、2011年にシリア内戦が始まるまで、独裁政権は国内の反乱軍や外国の侵略軍よりも、自国の軍部に倒されるケースのほうが多かった。

親子2代で半世紀余り続いたアサド家の独裁支配が終わり、首都ダマスカスでは市民が平和と自由の訪れを祝った CHRIS MCGRATH/GETTY IMAGES

ことにシリアでは、軍人上がりのハフェズ・アサドがクーデターで政権を握った1970年まで、約20年間も軍部が仕組んだ政変劇が繰り返された。

ハフェズは力ずくの政権交代を自分の代で終わりにしようと、後継者のバシャルともども、軍人の政治的野望をくじくことに全力を注いだ。そのためには政府軍の弱体化もいとわないほどの念の入れようだった。

アサド父子が手がけたクーデター防止策は多岐にわたる。

軍隊内部の意思疎通を非効率化する、軍上層部を自分たちに忠実な人物で固める、兵士の訓練を怠る、複数の情報機関を設置し、軍と互いを監視させる等々。

おかげでクーデターのリスクは抑えられたが、政府軍の戦闘能力は低下し、イスラエルのような外国の強力な軍隊はおろか、国内の反乱軍にも太刀打ちできなくなった。

恐怖支配で兵士の脱走を防ぐ

アサド父子は、軍上層部を少数の親族や自分たちに絶対的な忠誠を誓うイエスマンで固めた。ハフェズは軍隊を5軍編成にした。

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