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「そもそも安定した時代がなかった」シリアの運命はダマスカスとアレッポを結ぶ「回廊の覇者」が決める【地政学】

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月19日 15時45分

このエリアに位置する都市ラタキアとタルトゥースは世界への玄関口だ。歴史的に、遠方の外国(最初はフランス、現在はロシア)との同盟は、この地域を通じて築かれ、ダマスカスの権力者を支えた。

この地中海沿岸部とアレッポの間には、オロンテス川と平行に南北に走る回廊があり、ダマスカス周辺のオアシスと、アレッポ商業圏を結んでいる。この回廊に位置する代表的な都市が、ホムスとハマだ。

ハフェズ・アサド(右)、1967年 KEYSTONE-FRANCEーGAMMA-KEYSTONE/GETTY IMAGES

ダマスカスの権力者にとって、アレッポの支配はこの回廊を通じて可能になる。逆に、ダマスカスに対する反乱は、この回廊の攻略を伴う。つまりダマスカスとアレッポを結ぶルートは、支配の回廊であると同時に、反乱の回廊でもあるのだ。オロンテス川が別名「反乱の川」として知られるのは偶然ではない。

シリア東部にはユーフラテス川と、不毛の平原が広がる。これはイラク北部からトルコ東南部に至るジャジーラ地方と呼ばれる地域の一部で、モスル(イラク北部)、ディヤルバクル(トルコ東南部)、そしてラッカ(シリア北部)といった大きな都市を擁する。

とりわけモスルとラッカは密接に関連していて、ダマスカスの支配者ではなく、モスルの支配者がラッカを統治することが多かった。その逆もまたしかりだ。

一方、南西部のエッドゥルーズ山地と、ヨルダン国境に近いハウラン台地は、ドルーズ派(シーア派の分派)など、宗教的マイノリティーの一大拠点となっている。しかし彼らが、地中海沿岸部の宗教的マイノリティーと結束したことはない。

このように、シリア国内は地理的に分断されてきた。首都ダマスカスは、国内各地へのアクセスが限られている。商都アレッポは、歴史的にローマ帝国やトルコの影響下にあった。首都と商都をつなぐ回廊は、戦闘の舞台になりがちだった。

細長い地中海沿岸部とエッドゥルーズ山地は、マイノリティーが住む。そして現代シリアが建国されるまで、首都ダマスカスがアレッポとラッカを支配下に置いたことはなかった。

汎アラブ主義のくびき

民族も言語も宗教も多様なシリアでは、軍事行動も貿易も宗教的交流も、分裂と不安定化を促してきた。数千年の歴史を持つ土地で、異質な人々の間の緊張が続いてきたため、中央に独立した統一政権を樹立することは、著しく困難だった。

だからシリアは、たびたび大帝国(アッシリア、アケメネス朝ペルシャ、アラブ人、オスマン帝国など)の完全な支配下に置かれた。2つの大国(ローマ帝国とパルティア、ビザンチン帝国とササン朝ペルシャ、イルハン朝とマムルーク朝)が覇権を争う地域だった時期もある。

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