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「そもそも安定した時代がなかった」シリアの運命はダマスカスとアレッポを結ぶ「回廊の覇者」が決める【地政学】

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月19日 15時45分

第2次大戦後にフランスの植民地から独立してからも、シリアは国家としての強力なアイデンティティーがないことや、脆弱な政府など多くの難題に直面した。

とりわけ、1948年の第1次中東戦争で敗北したことは、独立まもないシリアを不安定にさせ、汎アラブ主義の広がりを許した。そしてエジプトのガマル・アブデル・ナセル大統領の呼びかけに応じ、エジプトと共にアラブ連合共和国(UAR)を樹立、のちに北イエメンも合流した。

やがてUARが崩壊し、67年の第3次中東戦争で壊滅的な敗北を喫してからも、シリアで汎アラブ主義が弱まることはなかった。

70年にハフェズ・アサド(バシャル・アサドの父親)がクーデターで全権を掌握し、バース党の支配が始まると、ようやく政治的安定らしきものが生まれたが、それは強権政治によって実現したにすぎなかった。

それを揺るがしたのは、アラブ諸国の民主化の波「アラブの春」だった。2011年に始まったシリア内戦は、外国から来たイスラム原理主義勢力と、政府軍の残虐行為により悪化の一途をたどり、大量の避難民とインフラ崩壊をもたらした。

だが、ここでも地理が重要な役割を果たすことになる。ラッカを掌握した過激派組織「イスラム国」(IS)は、モスルも支配下に置いた。アサド政権は、地中海沿岸の支配を維持することでロシアの軍事支援を確保した。トルコが支援する反体制派はアレッポを支配下に置いた。

戦闘の大部分は、ダマスカスからホムスとハマを経由してアレッポにつながる回廊に集中した。そしてロシアとイランの支援を得たアサドがこの回廊を制圧した時点で、内戦の第1段階は終わった。この回廊を支配した者が、シリアを支配するという地理の論理のとおりだ。

今回のアサドの失脚も、反体制派がこの回廊を攻略したとき避けられなくなった。ダマスカスを陥落させた今、彼らはシリアの運命を握ったと考えているかもしれない。だが、彼らもすぐに学ぶことになるだろう。シリアの地理を支配することは決してできないのだ、と。

From Foreign Policy Magazine

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