学術的引用すら許されない?...「コンプライアンス」が追い詰める「学問の自由」
ニューズウィーク日本版 / 2025年1月29日 11時0分
YouTubeで配信するため、そちらのチェックで引っかかることを怖れたことなどもあろうが、そんな「自己規制」や「忖度」が積み重なり、既成事実化してゆけば、本来認められていた引用というカテゴリー自体が有名無実化することにもなる。
他人の説を批判するための引用にも相手の許諾が必要というようなことになれば、健全な言論活動は阻害されてしまうだろう。
もうひとつの事例も同じく著作権に関わる、こちらは私の友人が巻き込まれた事件である。
大学の出版物に投稿した論文が米国で出版されている先行文献の剽窃とみなされて学内のコンプライアンス委員会に通報され、懲戒解雇処分になってしまったという事案である。この処分を不当として訴訟を起こしたものの、一審の東京地裁では主張が認められず敗訴し、現在東京高裁に控訴して係争中である。
解雇の不当性を争う裁判なので、基本は労働法の案件ではあるが、少なくともこの解雇にいたる事実関係の中心にあるのは著作権問題であり、そこで下された不正という判断は、音楽研究のみならずおよそ人文学の研究に関わる者には由々しき大事である。
というのも、ここで問題とされた先行文献の使い方は、この分野ではかなり普通に行われているものだからである。
もちろん、研究論文はオリジナルなものでなければならず、他人が言っていることと自分の言っていることとはっきり区別し、典拠を示さなければならないというのは、研究のイロハであり、全くもって「正論」には違いない。
だが人文学の場合、実際にはその記載がどこまで求められるかの線引きにはかなりのグレーゾーンがある。
たとえば「バッハの《マタイ受難曲》は1729年に初演された」と書くとき、ほとんど全ての人は自分で上演記録を調べたわけでもなく、何かの文献から得た知識を流用しているに違いないが、その際に典拠を記載するというようなことはまずない。
もちろんそれは、個人の所有物ではない「歴史的事実」とみなされているからであるともいえるが、それも実は決定的なポイントというわけではない。
《マタイ受難曲》は長いこと1729年初演とされてきたが、実は1727年であったという説が1970年代に登場し、ひとしきり議論になった。
「1729年説」は1829年に復活上演が行われる際に「100周年」の年として大々的に祝われる中で定着していったということが明らかにされたのである。仮にこのあたりの経緯をテーマとした論文であれば、これは「歴史的事実」などではなく、典拠を抜きにして言及するようなことはありえないということになるだろう。
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