学術的引用すら許されない?...「コンプライアンス」が追い詰める「学問の自由」
ニューズウィーク日本版 / 2025年1月29日 11時0分
学術論文の「プロ」の読み手たちはそのように、論文の目的や性格、当該分野の研究状況や書き手のクセなども考慮して論の微妙な呼吸をよみとり、論証の中での当該の箇所の位置や役割をはかりつつ、妥当性を判定する。
今回の問題論文は、これまでほとんど顧みられてこなかった古典文献の内容を紹介し、その歴史的意義を論じる趣旨のものであるから、著者の生涯など、中心的な論点に関わらない背景記述の部分では、先行研究を主たるよりどころに、それをまとめ直しながら記述を進めてゆくのはむしろごく一般的なやり方である。
文章の巧拙などもあり、その関係が多少わかりにくい部分などもあるにせよ、この種の論文を読み慣れた「プロ」の読者であれば、逐一ページ数などの記載がなくても、全体が先行研究に依拠した要約になっていることを読み取るのは容易であり、剽窃の疑いをかけられるなどということはまず起こりようがなかろう。
それにもかかわらず地裁判決では、全ての箇所での出典表示の有無だけを機械的にチェックするようなやり方で剽窃が認定された。
固有の判断基準や慣習にかかわるローカルルールのようなものがあるのは音楽研究だけではなかろうが、そういうそれぞれの領域固有の微妙な凹凸のような要因を無視して、すべてを一律にブルドーザーで平らにしてしまった印象である。
今回取り上げたふたつの事例に共通しているのは、知の営みというものがそもそもどのように成り立っているのかという最も根本の部分がないがしろにされ、「著作者の権利」の部分だけが、現実離れした形で振り回され、形骸化する結果になっていることだ。
人文学に限らず、およそ知と呼ばれるようなものは、そのコミュニティに関わる人々がさまざまな知恵を提供し、それらがパブリックドメイン化しつつ共有財産として蓄積された土台を形作り、そこにさらに新たな知見がもたらされ、積み上げられてゆくというような形で成り立っている。
もちろん新たな知をもたらす者への敬意やそれにふさわしい見返りが必要であることは言うまでもないが、それらが皆で共有されることによってこそ、次なる新たな知の積み上げが可能になるということを考えるならば、それらが囲い込まれることなく、皆が共有財産として利用できる仕組みをどのように確保してゆくかを、それぞれの領域の状況をふまえてきめ細かく考えてゆくことこそが必要であろう。
「正論」はもちろん「正論」だが、それが実質を欠き形骸化したお題目になってしまうと、著作権法本来の目的にも反し、「角を矯めて牛を殺す」結果にもなる。ましてそれが懲戒解雇のような、ひとの一生を左右することに直結するとなれば、事は重大である。
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