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「誰の犠牲もなく、すぐ脱原発できるのか」 ジャーナリスト・評論家、武田徹さん<「どうする?原発」インタビュー第3回>

ニコニコニュース / 2012年8月11日 16時21分

ジャーナリスト・評論家の武田徹さん

 脱原発デモに集った群衆が、毎週のように首相官邸前に押し寄せる。彼らの掛け声は、「再稼働反対」だ。2011年3月の東日本大震災では、福島第一原発の原子炉でメルトダウンが発生した。それ以降、日本の原子力発電所は震災の影響や、定期検査などで運転停止していたが、2012年7月、電力不足を補うために政府は関西電力・大飯(おおい)発電所の原子炉を再稼働させた。それに抗議する人々が、まるで50年前の安保闘争を想起させるような勢いでデモを行っているのだ。

 震災前には、日本の発電量の約3割を占めていた原子力。1960年代に茨城県東海村の東海発電所を皮切りに、日本全国に次々と原発が建設された。子ども向けアニメに出てくるロボットとして今も親しまれている「鉄腕アトム」と「ドラえもん」。彼らの動力源は原子力だった。原子力は人類の未来を照らす夢のテクノロジーと見られていた時代もあったのに、今は放射線物質をまき散らすとして忌み嫌われる存在になってしまった。

 一体、なぜ日本は原子力発電にまい進したのか。燃え広がる「脱原発」の動きと、どう向かい合えばいいのか・・・。数々の疑問を抱える中、一冊の本に出会った。『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(中公新書ラクレ)だ。ジャーナリスト・評論家で恵泉女学園大学教授の武田徹さんが震災後に出した原発論だ。

 この本は、もともと震災前の2002年に書かれたものが元になっている。『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』というタイトルで、日本の原子力開発の歴史を、それこそ「鉄腕アトムの原子炉は何を意味しているのか?」というサブカルチャーの視点まで巻き込みながら書いた意欲作だった。原発推進派と反対派の、それぞれの主張を丹念に追いながらも、どちらの立場にもくみしない。一歩ひいた立場から、原子力政策の再検討を訴えて書かれた本だった。

 しかし、日本人は福島第一原発の事故を未然に防ぐことはできなかった。『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』のまえがきで、武田さんは次のように書いている。

<こうして『「核」論』ではハンタイ、スイシンの違いを超えて核=原発論に入れる入口を多く用意し、原子力をめぐる膠着した状況を打開できないか工夫しました。しかし、皮肉なことに東日本大震災の後に、ふたたび「歴史」は繰り返されました。多くのジャーナリストはスイシン派とハンタイ派の対立構造に陥ったのです。>

 福島第一原発の事故以降も、原発をめぐる反対派と推進派の対立が薄まるどころか、逆に激しくなっているという。平行線をたどる一方の、原発をめぐる議論を前に、私達はどう考えればいいのか。2012年7月4日、東京都千代田区にある老舗ホテルの喫茶店でインタビューした。

・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu

■安保闘争と脱原発デモの決定的な違いとは

――最近では毎週、官邸前で脱原発デモが起きていて、野田首相もデモの代表者に会うことを検討するなど、政府としても無視できない規模になっています。1960年の安保闘争のときの国会包囲をイメージしてしまったんですが、これだけ脱原発・反原発が盛り上がっている背景には何があると思いますか?

 まず60年安保のデモとは違いもある。60年の時は、清水幾太郎とか丸山眞男などの知識人がいて安保改定になぜ反対するのかを説明する論文を岩波書店の月刊誌『世界』などに書いていた。その論文を読んで、内容を教えてくれるオピニオンリーダー的な人がいて、その人が労働組合とか大学の仲間を束ねてデモに行かせるという図式ですよね。組織の介在もあるし、オピニオンリーダー的な人の関与もあった。

 それに対して、今は介在するものが全然なくて、ツイッターやフェイスブックで直接訴えかけて、個人で決断して直接デモに行くようになりました。原発を動かすか止めるかで言ったら、それは止めた方が安全そうですよね。もちろん止めてもずっと冷やし続けないといけないとか、放射性物質はなくならないという問題はあるんだけど、少なくとも止めておけば、止め損なって核暴走したりするリスクはなくなるので、止めるに越したことはない。それはオピニオンリーダーの解説なしでも誰でも判断できます。

 で、ネット経由でデモの存在を知ったひとが、自分の参加も少しは止める方向に機能するのではと考えてデモに参加した。そこには福島事故後の被ばくへの不安を一人で抱え込みたくない気持ちもあっただろうし、不安の裏返しとして事故を起こした政府や電力会社への憤懣も鬱積しているわけで、これらも結果的にデモの動員を増やしたはずです。

 ただ、60年安保の反対運動は、安保条約の改定交渉を止めれば良かったので、すごいシンプルです。でも、今回は「原発止めろ」とはいうものの、どういうふうに止めるかについては、みんな考え方が違う。すごくラディカルに「再稼働を全部止めて、一気に廃炉に持っていくべき」だと考えている人もいる。その一方で、電力がひっ迫するのは問題だということで「2030年には原発の依存率を10%」と考えているんだけど、国に考え方を変えてほしいので、脱原発デモに参加しているって人もいる。

 どんなふうに脱原発をしていくかっていうと、すごい幅があると思うんですよ。その違いをうまく調停して、一つの施策に着地させないといけない。デモでは"脱原発"というスローガンだけしか訴えられないので、その先にスローガンの背景にある考え方をどう総合していくかという手続きが必要とされる。この着地のプロセスを踏めるかどうかで、デモの真価が問われますね。

■電気が「いのち」を守っている事情がある

――音楽家の坂本龍一さんが、2012年7月の脱原発デモで「たかが電気のため」と、おっしゃっていました。この発言をどう受け止めましたか?

 「いのちと電気だったら、いのちを取りたい」と言っていましたね。敢えてそれを言いたかった気持ちはわかるけど、少し意地悪いツッコミをすると、たとえば世界の国別に見ると電力消費量と平均寿命って実は相関性がある。これは医療や福祉に関して電気が貢献してきた面があるということ。もちろん長生きすればいいってことではないんだけど、電気がいのちを守っている事情があることを認めたうえで、それでも敢えて「たかが電気」と言うかどうか。現状を理解しないで、誰の犠牲もなしにすぐにでも脱原発や節電ができると思い込んでいるとユートピア思想になってしまいます。

 あと原発を抱える地元経済の問題もあります。大飯原発を抱える福井県おおい町の財政も、2012年度の電源三法の交付金への依存率が58%です。でも、原発が来る前は過疎の町で、ひどい赤字自治体だった。それが原発の交付金のお陰であの地域では豊かになったわけですよ。

 赤字の財政団体であれば、何もできない、人口減を防ごうとして設備投資をしようとしても、それすらできない。どんどん過疎化していって、限界集落をどんどん増やしていくような現状の中で、各自治体は原発を選んだわけです。それを「原発なしの頃に戻せ」というのは酷ですよね。

 地元の人だって原発の危険性はもちろん勉強しています。「地元の人は原発の危険性を知らないから受け入れている」と思っている人も多いんだけど、そんなことはない。原発の危険性はよく分かっていますが、事故があったとしても何年後になるか分からないし、どれくらいの事故かは分からなくて、もしかしたら軽く済むかもしれない。でも、その原発をやめて交付金が一気になくなったら、すぐにでも住民の生活は激変して、かなりの困難が生じると。そっちのリスクの方が具体的で現実的、切実なんですよ。

 それに対して原発のリスクは確率的であり、どっちを取るかという選択になったときには、やっぱり確実な財政難というリスクを避けるという選択肢を選びがちなんです。そういう事情が地元にはあるということを分かったうえで、脱原発するならそれをどう進めていくかを考えていかないといけない。

 もちろん今の地元の原発依存構造が健全なわけはありません。それ以外の選択肢があるべきなんです。でも、それ以外の選択肢を今までずっと考えて来ても妙案は出てこなかった。日本の近代化って、過密と過疎を極端な形で進めてきた。都市を過密化させ、地方を過疎にすることでしか、日本国は豊かになれなかった。それ以外の歴史がなかったんです。その中で、過疎で困窮していく地方自治体財政を救う救世主的な選択肢として原発が登場した構図があるのですから、過疎の問題を解決できる代案がない限り、立地地元にしてみれば原発なしの未来が考えにくいところがある。

 こうした地方の現状を見ずに脱原発を唱えることは、「脱原発の大義のためにあなた方の村は廃村にしてください」と言っているのに近くなる。このように原発をめぐる問題系は非常に広いし、利害関係も複雑に入り組んでいるので、それを理解した上で、脱原発をどうしていくか、どう実現していくかという議論をしていかないといけません。デモは脱原発を唱えるだけですから、デモ以後が大事になってきます。

――こうした脱原発のデモをすること、それ自体についてはどのようにお考えですか?

 今言ったように、問題を単純化して「脱原発かそうじゃないか」にしてしまう段階で終わってしまったら困るけれど、今までの原発推進の国策というのは非常に強力だったので、それに対して反対を唱えることが難しかったのは間違いない。それに対抗しようとして、多くの人が乗りやすい脱原発のスローガンの下で動員を図るのは政治的には意味があると思いますし、合法的な範囲でやっている限りは、思想信条の自由なのでいいと思います。

 しかし私が期待するのは、原発の在り方について読点「、」を打つことですね。「。」やピリオドではなくて。つまり「即時、無条件で、全面的に原発を止める」ということを決定するのではなくて、とりあえず一度、立ち止まる必要があるんです。そのためにデモが効果を発揮すればいいと思います。

 そして「、」を打ったあとに、原子力を巡る複雑な問題を解決するために長い調停や交渉のプロセスを始める必要があるのだと理解したうえでデモに参加して欲しいですね。

――ニコニコ動画のユーザーは10代と20代の若者が非常に多いんですけど、ネットをよく利用していて社会問題に興味がある層ですね。彼らが原発について考えるときに、何に注意したらいいか、アドバイスはありませんか?

 繰り返しますが、すごく複雑で立体的な構造を持っている原発を巡る問題系に対して、その複雑性を正面から相手どることに挑戦して欲しいと思います。問題を単純だと見くびって対処すると逆にその問題を解決できなくなります。いくら放射線が怖いからといって、選べもしない逃避策を選ぼうとするのではなく、地元立地の人も都市の人も、大人も子どももすべてのひとが安全に、かつ安心して生き続けられる方法を確実に見つけてゆく。そのプロセスを、問題の複雑さにめげて諦めたりせずに、踏んでいって欲しいですね。複雑な問題を解決するためには、時間や手間というコストはどうしても必要ですから。

■武田徹(たけだ・とおる)
1958年生まれ。ジャーナリスト、評論家。恵泉女学園大学人文学部教授。メディアと社会の相関領域を主な執筆対象にするとともに、国際基督教大学、東京大学、恵泉女学園大学などで、メディア、ジャーナリズム教育に携わってきた。著書に『偽満州国論』(河出書房新社)、『流行人類学クロニクル』(日経BP社、サントリー学芸賞受賞)、『戦争報道』『NHK問題』(ともに、ちくま新書)など多数。

◇関連サイト
・私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)
http://ichiba.nicovideo.jp/item/az4121503872
・[ニコニコ生放送] <どうする?原発>科学者・菊池誠が語る「トンデモ・デマから身を守る方法」 - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv103478592?po=newsinfoseek&ref=news
・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu

(安藤健二)



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