『アイマス』如月千早はミンゴスの人生をいかに変えたのか? 声優・今井麻美が人生の分岐点を振り返る。「29歳のとき、一度引退を考えました」
ニコニコニュース / 2024年2月22日 12時0分
『アイドルマスター』
15年以上前にリリースされたアイドル育成ゲームは、今や膨大な関連商品・二次創作を生み出し続ける日本を代表するモンスターコンテンツとなった。
ヒットの要因は挙げればきりがないだろうが、演じた声優自身のバックボーンをキャラクターに逆輸入していくメタ的な感覚は見逃せない。
こうした『アイマス』が持つ独特な“ライブ感”も本作のヒットに一役買ったのではないだろうか。
『アイマス』シリーズの第一作に登場するキャラクター、如月千早もまさにそうしたキャラクターだった。
「歌うこと」に対して真面目すぎるゆえに孤立してしまいがちな15歳の少女……。
プレイヤーたちは千早に、当時“売れっ子声優”ではなかったものの、歌うこと演じることに真摯な声優・今井麻美…アサミンゴスの姿を重ねた。
人気声優に「人生の3つの分岐点」を伺う本連載。今回はアイマスで如月千早を演じた声優・今井麻美さんの半生にスポットライトを当てる。
今井さんは当時、声優事務所に所属し、オーディションで最終候補まで残るものの落ちてしまう日々が何年も続いていた。
しかし、そんななかでも如月千早に出会うことで初めて「演技するのが楽しい!」と思えたという。
取材では、「千早の楽曲はどのように作られたのか」「語り草となっている9周年ライブでのアドリブ」といった今だから話せるアイマスの裏話を多く聞くことができた。
大ヒットコンテンツの成長と共に演技者として今井さんがどのような成長を遂げていったのか。
如月千早という“当たり役”に出会いながらも「29歳のとき、一度引退を考えた」と明かす当時の心境にも迫った。
『アイマス』に触れたことがなくとも、表現をすることに真摯に向き合う彼女の言葉を丹念に拾い上げた本記事は、多くの方の心に響くものになったと思う。
ぜひ、最後まで読み進めていただけると幸いだ。
文/前田久(前Q)
編集/田畑光一(トロピカル田畑)
撮影/金澤正平
■分岐点1:一浪した大学入試で想定外の専攻に合格
――それでは早速ですが、人生における3つの分岐点の、1つ目についてお話をうかがわせてください。
今井:
はい。1つ目の分岐点は「一浪して、大学入試で、想定外の専攻に合格」です。
私、地元が山口県なんですが、たまたま浪人生活が始まるタイミングで、両親が岩手県に転勤になったんです。
付いて行くことも可能だったんですが、親に甘えまして、東京で予備校の寮に入らせてもらうことにしたんですね。
――その方が勉強に集中できそうですし、東京には大学も多いので、予行演習になりそうですもんね。「想定外」とおっしゃられるということは、志望校は元々決められていたのでしょうか?
今井:
自分はもともと「アナウンサーになりたい」と漠然と考えていたんですね。
その夢を叶えるために、入りたい大学がありました。
それで現役のときはもちろん、浪人してもそこに入れなかったときのことをあんまり考えてなかったんですよね。
10代の多感な時期に親元を離れて、受験勉強するためだけに寮に入るのもすごいストレスだったのに、さらにそのことが追い打ちをかけていたみたいで……。
浪人中は体にいろんな異常が出たり、苦しかったり、しんどい思いをしていました。
――ストレス起因の身体症状が出るって、よっぽどですね。
今井:
でも、当時の私は「ストレス」って言葉を知らなくて、心の問題だと理解してなかったんですよ(笑)。
だからなんとか、受験まで、ただの体調不良として受け止めきれてしまったんです。
とはいえ、ここまでしんどいと、さすがに二浪は無理だなと。金銭的な面でも、特に何か言われたわけではないですが、これ以上親に迷惑は掛けられないと感じてましたし。
なので、第一志望以外でもどこかの大学に入りたいと思って、結構手当たり次第に願書を出していたんです。
いちおう、アナウンサー志望だから、社会学部があるところは社会学部で提出するくらいはしていましたけど。
当時のアナウンサーさんには、社会学部出身の方が多い印象があったので。
――マスコミ志望だと社会学部は定番ですよね。
今井:
でも、私が最終的に選んだ明治大学には社会学部はなかったんです、文学部に社会学専攻はあったんですけど。
それで「どうしよう?」と思ったときに、そのときの記憶は一切ないんですけど、なぜか文学部文学科の演劇学専攻にマルをつけて願書を出してたんです。
無意識だったのか、何か自分なりに考えた結果なのか、今でもまったく思い出せないんですよね(笑)。
――受験日にも疑問を感じなかったんですか?
今井:
緊張感やプレッシャーでそれどころじゃなかったです。
受験会場にしても、特に専攻までは分類されていなくて、あくまで文学部のテストとして受けている感覚でしたし。
だから合格発表まではまったく気づいてなかったです。
当時は電話で合否が確認できたんですけど、「あなたは文学部文学科演劇学専攻に合格しました」ってアナウンスが流れてきたのを聞いて、「いや、なにそれ!?」って(笑)。
――いやー……衝撃ですよね、それは。
今井:
あの光景は忘れもしません。母親と一緒に実家から上京して、渋谷駅の公衆電話からかけたんですよね。
それで電話を切った後、「お母さん、私、演劇学専攻に受かったみたい……」と伝えたら、「あら、いいじゃない!」と返されて。
そんな母の言葉にも後押しされて、「面白い大学に行っちゃう!?」みたいな感じで、即決で進学先を選びました。
自分の意志を離れた運命のいたずらが、完全に起こっていましたね。
――まさに「分岐点」にふさわしい出来事ですね。
今井:
しかも結果的には、演劇学を専攻することで、自分が子供の頃からアニメがとても好きだったことを思い出したり、アナウンサーというよりも、どちらかというとナレーターの仕事がやりたかったんだと気づいたりもして……。
――どちらも今につながる気づきですね。
今井:
そして、ここでまた、私のうっかりが発動するんですよ。
在学中に、ナレーターの勉強をしようと思って専門学校の門を叩いたら、そこが声優の専門学校だったんです。
――入られたのは、日ナレ(日本ナレーション演技研究所)さんですね。
今井:
そうです。学校名の「ナレーション」しか目に入らなくて、「演技」の部分がなぜかまったく見えていなかったんです。
面接で当時の所長さんから志望動機を訊かれて、「地元に戻ってアナウンサーになりたいんです」と答えたら、「……なんでうちを受けたの?」と返されたのを、よく覚えてますね(笑)。
そのあと、「とりあえずこの原稿を読んでみて」と渡されたのも、セリフばっかりで。
――完全に演技を勉強したい人を選ぶための面接だったんですね。
今井:
でも、受かっちゃったんですよ。「受かっちゃったんだから、お金払うか!」みたいなノリで入所金を払って。
でも、やっぱり入ってみたら演技の勉強をする学校で、「こりゃ、間違えたな!」って感じでした。
でも、実は心のどこかでずっと、声の芝居に興味があったんじゃないか? そんなことを今となっては思うんです。
――どういうことでしょう?
今井:
当時は、声優という職業が世間的に理解が広まっているとは言い難かったと思います。
特に親世代には、ちゃんとした職業として浸透していなかったんです。
そういう環境下なので意識できていなかったけれど、深層心理で「声優になりたい」という気持ちが、少なくとも小学生の頃からあったんじゃないかと。
本当に人生、何が起るかわからないですね。
――偶然がいくつも重なって、自分の本当の気持ちにたまたま気付けた、と。
今井:
そこからもいろいろな偶然がありました。
まず、日ナレに入った時期に、大学で参加していたサークルの放送研究会が50周年を迎えて、記念のボイスドラマやラジオ番組を作ることになったんです。
放送業界を目指す人が集まるサークルだったこともあって、諸先輩方には名だたる役者さん、ナレーターさんがいらっしゃった。
50周年の節目のそうしたイベントの中で、そんな先輩方とお話しさせていただく機会があったんです。
その積み重ねの中でも、「声優を目指すのもいいかもしれない」と、心が少しずつ動かされたんです。
偶然選んだ大学でしたけど、明治大学に進学してよかったと、そのときにさらに感じましたね。
――いい連鎖がありますね。
■エニックス主催のアニメ企画大賞を受賞――運命を感じた野沢雅子さんのプッシュ
今井:
もうひとつの偶然が、エニックス(現:スクウェア・エニックス)さんが開催していた「アニメ企画大賞」【※】への参加です。
これも偶然、駅前の書店でポスターを見かけて、「何かの縁だ」と思って応募してみたんです。締め切りギリギリのタイミングでした。
そうしたらありがたいことに一次審査を通って、そのあとの対面の審査で、審査員長の野沢雅子さんにお会いすることができたんですよ!
※アニメ企画大賞
1998年に行われた、アニメーション関連のクリエイター募集企画。アニメ企画部門、アニメ声優部門、アニメシナリオ部門、メカデザイン部門の4部門があり、アニメ監督の出崎統、声優の野沢雅子、脚本家の藤川桂介の3名が審査を行った。
――野沢さんに対して、特別な思いがあられたんですか?
今井:
ちょっとおかしな話なんですけど……アニメの『ドラゴンボール』に、悟飯ちゃんが出てくるタイミングがあるじゃないですか。
――タイトルが『ドラゴンボールZ』になるときですね。
今井:
原作を先に読んでいたので、「悟飯ちゃんはどういう声になるんだろう? 悟空とそっくりだけど……」と、当時小学生だった私は、声優という職業も知らないままに、純粋な気持ちで疑問に感じていたんです。
そうしたらある日、「悟飯を演じてくださる方を探しているんですけど、チャレンジしてみませんか?」って、電話がかかってくる夢を見て(笑)。
――おもしろい(笑)!
今井:
本当に不思議でした。そんなこともあって、昔から野沢さんのお名前を強く意識していて。
最終的にその賞で大賞をいただいたんですけど、そのとき私を最後にプッシュしてくださったのが、野沢さんだったそうなんです。
「夢とリンクした!」って、そこでも何か、声優という仕事への縁を感じたんですよね。
私には「本当はこの道を選びたいんだけど、自分から言うのはなんだかおこがましいし、恥ずかしいし、笑われるかもしれないし……」みたいな気持ちが、ずっとあった。
でも、いざ選択肢が人生の中でぱぱぱっ! と出てきたときに、本当にやりたいことを選ぶように、上手く物事が運んでいたのかな……と。
――直感みたいなものって、意外と大事ですよね。
今井:
後輩だとか、若い人とお話しするときに、「好きなことをもっと鮮明にすると良いよ」とアドバイスをさせていただくことが多いんです。特に十代、二十代の人にはよく伝えます。
自分が結構そのあたりが曖昧で、仕事を始めてからもぼんやりしているところがあったんです。
お仕事先の方に、「きみはどういう声優になりたいの?」とか「どんなふうに生きていきたいの?」と質問されたとき、とっさに答えられない、「なるようになるんじゃないでしょうか」みたいなことしかいえなかった。
だけど、人生を振り返ってみたら、結果的には、本能的に好きだったものが揺らがないというか。「結局私は、それにしか興味がないではないですか!」と、自分で自分に言えるようなものがある。
それをいかに明確にしていくかが、人生を豊かにする上で大事なんだと思うんですよね。
■「麻美ちゃんは、『麻美ちゃん』の部分が強いから」――伸び悩んでいたときに響いた母親の言葉
――それにしても、今井さんご自身が自覚されていなかったころ、演劇専攻への進学を「いいじゃない!」と後押しされたお母様の慧眼がすごいですね。
今井:
うちの母、ちょっと勘が鋭いところがあるんです。
私は合格を伝えるとき、どこかで「演劇なんて無理でしょ。それで仕事になるの?」と返されると想像してたんです。
親の世代であれば、そう考えるだろうと思い込んでいたのに、返ってきた答えはすごく意外で、だからこそ滅茶苦茶響いたんですよね。
何かにつけ、相手の考えを決めつけるのはよくないと悟った瞬間でもありました。
――あとからお母様に、「なんであのときそう思ったの?」と、あらためてお尋ねになったことはあります?
今井:
あるんですけど……覚えてないんですよ(笑)!
「そんなこと言った?」って。しかも、私が声優事務所に所属して5、6年くらい経って、なかなかお仕事をいただけない状況のころ、母が今度は「麻美ちゃんは声優には向いていないんじゃないの?」って言ったんですよ。
――そんなにはっきりと。
今井:
いやぁ、この言葉も、かなり響きました。
母は家族の中でも思慮深い方なだけに、口を開くと言葉が重いんです。
また内容が内容だけに、かなりの勇気を持って言ったとも思いましたしね。
――どう返されたんですか?
今井:
母の直感を信用している部分があるので、理由を訊いてみました。
そうしたら、「声優さんって、他人にならなきゃいけないんでしょ? でも麻美ちゃんは、『麻美ちゃん』の部分が強いから」って。
それを言われて、「わからなくもない」と思ったんです。
――どういうことでしょう?
今井:
自分の個性みたいなものは、正直なところ、今でもよくわからないです。
でも、心の奥底から「他人になりたい」という欲求がないのは、はっきりしていました。
当時、同世代で売れている同業の方々を眺めていると、「他人になりたい」という欲求が、みなさんすごく強かったんです。
「私じゃない、何者かになりたいんだ!」という気持ちが、20代の私には希薄だったんです。
――深いですね……。
今井:
今は声優個人の、タレント性のようなものを求められる仕事も増えているので、少し状況が変わっているとは思います。
でも当時は、声優の仕事は「他者になりきる」ことを求められるものが、ほとんどでした。
母の言葉は、そういう意味での仕事は、確かに自分には向いていないのかもしれない……と、一旦立ち止まって考えるきっかけになりました。
他人になりきることが得意ではない声優でも戦っていけるだけの何かを身に着けないと、このままの、ありのままの自分だと、声優業界では受け入れてもらえないかもしれないな……と。
そのころ、オーディションでいいところまでは行っていたんです。
最終候補の2人にまで残るとか。でも、ギリギリの勝負になったときに、負け続けていた。
上手く役に巡り会えないのは、そういうことかもしれないなと、心の奥底から感じることができた。
そこから演技に対する向き合い方も変わりましたし、覚悟も決まりました。
そのあとなんです、第二の分岐点が来たのは。
■分岐点2:『アイドルマスター』、如月千早さんとの出会い
――気になります。次の分岐点、どんな出来事なのでしょう?
今井:
第二の分岐点は、「『アイドルマスター』、如月千早さんとの出会い」です。
(画像はアニメイト通販ページより)
――今井さんの自他ともに認める代表作ですね。その出会いは、先程のお母様からの衝撃的な言葉のあとだったのでしょうか?
今井:
まだ衝撃の余韻が残っていたころですね。
自分が声優に向いていないと、どうしても認めたくなくて、あがいていた。でも、「このままじゃ、無理なのかな……」と不安が込み上げることもあって。
そんなときにあった千早役のオーディションは、普通のものと違ったんですね。
――どういうものだったんですか?
今井:
普通は演じるセリフが決まっていて、それを候補の役者たちがそれぞれに演じて、その中からスタッフのみなさんがいい人を選ぶ。
でも千早のオーディションは、セリフを自分で考えて、演じて、さらに自分で選んだ好きな曲を歌うとという流れだったんです。
あとからうかがった話だと、スタッフのみなさんが、声優のオーディションというものをやったことがなくて、通常のセオリーをわかっていなかったそうです。
だからとにかく、その人の持つ個性や、人としてのパワーが、キャラクターのイメージに合う声優を探していた、と。
そんなオーディションだったので、自分が声優として悩んでいた部分が、逆に活かせたんですよね。
自分を殺すタイプの演技ではなく、むしろ自分が出ている演技が求められていた作品だったんです。
――まるで出会うべくして出会ったかのようですね。
今井:
役に決まってからも、演じるうちに自分と役がどんどん似てくるし、設定にも私のキャラクター性がどんどん逆輸入されていくし……みたいな状態で、変わった作品の作り方をされていたんですよね。
そこで初めて、人の反応をうかがわない気持ちができたんです。
――どういうことでしょう?
今井:
それまではオーディションに落ち続けていても、何が悪いのかわからない状態だったんです。
でも、千早を演じたことで、自分には「これが正解だと思います!」と演技で言い切る自信が、あまりにもなかったのかな、と気付かされた。
その自信のなさが、最後に選ばれるときの決め手として、足りなかったのかな、と。
演技の裏に、「こんな感じでどうですか……?」という感情が常に付き纏ってしまっていて、そこが選ぶ人に見透かされていたように思うんです。
――なるほど。それが千早役を射止めて、変わった。
今井:
千早という大役をいただいて演じていく内に、「演技するのが楽しい!」と思えたし、「あなたでいいんです!」と言われている感じにもなれたんですね。
それで初めて、自分から能動的に、演技に向き合えるようになった。
もちろん今も、朝、収録現場に行く前に、「本当にこの演技でいいのかな?」と、ドキドキしちゃうことも多々あります。
でもそんなとき、「自分が正しいと思ってやらなきゃ絶対にダメだ!」と、言い聞かせることができるようになったんです。
弱点を弱点として認めてた上で、補うことができるようになった。
千早さんは、ただ大きな役だったというだけではなく、演技者として自分を成長させてくれた、ターニングポイントなのかなと思います。
――千早として長年ご活動されてきた中で、苦労されたり、戸惑いを感じた瞬間はこれまでなかったのでしょうか。
今井:
ずっと、めっっっちゃくちゃ楽しかったです! ものすごく怒られることもありましたけどね(笑)。スパルタでいろいろ教えていただいて、歌なんて、40回以上録り直した曲もあります。
――それはすごい。
今井:
今じゃありえないんですけど、指導を受けて、自分からも「もう一回! もう一回だけ!」と粘って録音させていただいて、それがまた、すごく楽しかった!
千早を通じて、どんどんモノづくりの楽しさを知れたんです。
――モノづくりの楽しさ?
今井:
『アイマス』に限らず、もともと私は、スタッフのみなさんが「こういうのが欲しい」」と考えているものの上を行く表現をして、初めて「さすが! この人に頼んで良かった!」と感じてもらえると思っているんです。
でも、声優としての仕事の中で、ずっとそれができないマインドのままでやっていた。
千早としての仕事では、その枷を取っ払うことが認められた気がしたんですね。
「好きな感じで歌っていいですよ。あなたが出せるものがそれですから」と言っていただけたことで、「もっとこうしたい!」という欲が、素直に出て来た。
「私って、2歳の頃から歌が好きだったじゃん!」みたいなことを思い出したりもして……。
――そんな小さな頃から。
今井:
2歳の頃から、窓の外のご近所さんに向けて歌っていたんです。
だから今の状況は、本当に「三つ子の魂百まで」なんですよね。
歌とアニメが大好きな子供だったのに、なんで声優になってから、萎縮しちゃってるの!? 自分が好きだった気持ち、もっと開放しなきゃだめじゃん! ……そんなことを、千早を演じる過程で、体感させていただけた。
そこから先、声優としていろいろな作品に出会っていくんですけど、はっきりと役への向き合い方が変わりましたね。
――どう変わられたんでしょう?
今井:
「自分がどう表現したいか?」が、まず先に来るようになったんです。
本来だったらもっと早い段階で気付くべきだったんですけど、スロースターターでしたね。
30代からようやくそう思えるようになった。
■『アイマス』で盛り上がっているニコ動を見に行ったら辛辣なコメントが……
――今おっしゃったような、千早を通じての気付きの具体的なきっかけになった、何か出来事はあるんですか? それとも積み重ねの中で、自然と?
今井:
私と千早のために作ってくださった、最初の曲……「蒼い鳥」を歌ったときからですね。
――「アイマス」の楽曲を代表する名バラードですね。
今井:
「蒼い鳥」は曲の作り方からそれまでとは違っていて、作曲家の方との面談が先にあったんですね。「どんな歌が好きですか?」「どれくらいキーが出ますか?」みたいな確認があって、それから「歌う人にぴったりなものを作ろう」という形で作ってくださった。
千早として最初にもらった曲ですし、私にとっては本当に宝物です。ただ……。
――ただ?
今井:
めちゃくちゃ難しかった! 曲をいただいてからレコーディング当日まで、毎日のように練習していました。練習した回数は、100回どころでは足りないと思います。部屋から漏れてくる音を聞いていた父親が、ソラで歌えるようになったくらいで(笑)。
――あはは。
今井:
それくらい熱を込めて打ち込んで、自信にも繋がりましたし、「もっと自分の歌の表現を伸ばしていけたらな」と感じさせてももらえた。
そういう意味でも、最初のきっかけをいただいた曲かもしれないです。
――そもそも千早は、『アイドルマスター』の最初のゲームに登場する9人のアイドルの中で、歌唱力の高さが特徴の「歌姫」キャラで、プレイヤーからしても期待値が高くて。
今井:
いやー、世に出る前の、井の中の蛙状態のときは、「私、そこそこ歌はイケんじゃん?」と思っていたんですよ。
でも、いざやってみるとそんなことはなくて。
それこそ、最初の『アイマス』のときはニコニコ動画さんですごく盛り上がっていたじゃないですか。
――サービス立ち上げ直後の大人気コンテンツでしたね。
今井:
自分の関わった作品が盛り上がっているとうれしいので、観に行くわけですよ。
そうすると、ニコ動さんだから、コメントが流れるじゃないですか。……辛辣な言葉を見ちゃうんですよ!
「こいつ歌上手いつもりでいるけど、全然上手くないじゃん」みたいな(笑)!
――本当に申し訳ありませんでした! ユーザーのみなさまに代わって、運営側の人間としてお詫びを……。
今井:
いえいえ(笑)。「めっちゃ歌上手いじゃん!」って手放しに褒めてくれる人もいましたし。
それに、批判されると悔しくて、「そんな言い方しなくてもいいじゃん!」と思ったのは事実ですけど、そのときの私に足りなかったのは、まさにそれだったんですよ。
批判されたときに、「くそ〜!」と思う気持ち。
やはり人を感動させる、クリエイティブなものを作っていく上で、私にはそこが致命的に足りなかった。
子供の頃からどうも面と向かって批判されないタイプの人間だったので、批判コメントは青天の霹靂のようなものでしたけど、それが今の私を作り上げてくれたもののひとつなのは確実です。
――そういっていただけるとありがたいです……。
ちなみに、批判も受け止めながら、努力を重ねられて、さらに千早として一つ突き抜けられた、壁を超えられた手応えがあった瞬間はありますか?
今井:
10周年ライブのときに、「細氷」という最難関の曲を歌う機会をいただいたときですね。
レコーディングでも難しかったのに、これを生で歌うとは、また挑戦状をもらったな! って感じたんですよね。
「まだできないかもしれないけど、これをクリアするために、もっと新しい技術を身につけて来い!」って、スタッフさんたちから叱咤された気がしたんです。
だから必死に食らいついて、ステージ上で表現して……あのときはゾーンに入っていましたね。
自分のライブ映像は、後学のために必ず確認するようにしているんですけど、あの「細氷」は、初めて「自分が歌っている」と思いながら観なかったんです。
ステージの上にいる人のことを、自分とは別物として観られるというか……。
あの「細氷」は、すごく自慢できます。
――たしかに圧巻の歌唱でした。
今井:
もちろん、今観ると拙い部分もあるんですけど、当時の出来うる限りの魂と空気感を出せた自信があったので、初めて「これをいまいちと評価されても、全然響かない」と思えた。
私に足りなかったのはこれだな、って思えたんです。
「そんなに上手いか?」と言われても、あのステージに関しては「この空間把握能力すごくないですか!?」って言える(笑)。
あれは本当に、「10年、戦い続けてきてよかったな」って思えた瞬間です。
■9周年ツアー千秋楽『約束』のリハで、涙が30センチの水たまりに
――『アイマス』ファンのあいだではその1年前、2014年の9周年ツアーの東京公演千秋楽で、千早が「約束」を歌いながらステージ上で感極っていた姿をご記憶されている方も多いようです。
無粋かもしれませんが、あのときのお気持ちをこの機会に、あらためてうかがってもいいでしょうか?
今井:
あれは……『アイドルマスター』のゲームが始まったとき、スタッフさんからよく、「10年走りたいんだ」と言われていたんです。
「正式稼働から数えて10周年まではなんとか走りたいので、そこまでついてきてくれますか?」と、私だけじゃなく、最初期のメンバーはひとりひとり聞かれたことがあるはずです。
9周年って、その直前じゃないですか。しかもテレビアニメが2011年に放送され、その劇場版が2013年にあって、そうした意味でも、作品として一段落を迎えた感覚があったんです。
普通の作品だったら、以降の展開は落ち着きますよね?
――ですね。劇場版まで行き着くと、もうあとはゆっくりと継続していく形になりがちです。
今井:
でも、「ここからさらに10周年に向けて盛り上げていきたいんだ」と聞いていたので、どこか責任感が強かったので、プレッシャーを感じていたし、当時、段々と後輩の、派生グループが生まれ始めていた時期で、「これから先、私たちはどうなるんだろう?」という不安もあったんです。
私たち演者もですし、応援してくださるファンのみなさんにも、どこかしら悶々としたものがある時期だったんですよね。
――シリーズの最初の転換の、過渡期だった。
今井:
そんな状況で開催された9周年で、とにかく私の中では、「あと1年!」という感覚が強かったんです。
「あと1年、なんとか走りきるぞ!」という気力だけで、もっと、もっといい表現ができるように、できる限りがんばろうと思い詰めていた。
でも、それを見ていたある方から、ぽろっと、「思い詰めすぎじゃない? そんなに今井さんのできることって、多くないよ」と声をかけられたんです。
これ、誤解されたくないんですけど、その方に悪気があったわけではないんですよ。
むしろ、当時の私のあまりに追い詰められた様子を見て、本気で心配してくださったんだと、今ならわかります。
でも、当時の私としては、図星を指された思いがしたんです。
自分たちのコンテンツも守りたいし、後輩グループも守りたいし、いろんな想いがあって、勝手に責任を負いすぎてしまっていたんだ……と。
そういわれたとき、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われました。
――優しさというか、気遣いが、かえって残酷だったんですね……。
今井:
やらなきゃいけないと思って、自分をギリギリまで追い込んでいたものが、必要ないのかも? って気付かされたわけですからね。
比喩じゃなく、本当に立ち上がれなくなるくらいのショックでした。
それが9thライブ千秋楽の、当日ゲネ(ゲネプロ、通しリハーサル)の直前だったんです。
あまりにボロボロになっている私を見て、「今井も大変でしょう?」と気遣ってかけてくれた言葉を、そう受け取ることができずに、「君は必要ない」と言われたかのように、勝手に頭の中で変換してしまった。
今、『アイマス』で歌うことはとても楽しいです。
でも当時は、まさに命を削っているような心境でした。それなのに、必要ないんだ……と。
またそのとき歌うのが、「約束」でしたからね。
アニメの象徴的な楽曲だったのもあり、作品とシンクロしすぎてしまったんですよ。
私は歌うとき、その場の空気感から入っていくタイプなので、多分余計にそうなってたんでしょうね。
本当に力が入らなくなっちゃって、これはもう、今日は歌うことは無理だ……と思いながらゲネが始まったんです。
――おそろしい状況ですね……。
今井:
そして実際、ゲネのステージに立っても力が出なくて、声が出ない。
おまけに、大粒の涙がとめどなく止まらなくなってしまった。
足元に30センチくらいの水たまりができていたんですよ。自分でもドン引きですよ(笑)。
会場のスタッフさんたちもザワザワしちゃって。
で、曲の途中で仲間たちが合流して、一緒に歌う流れだったんですけど、最初は私がそんな状態なのを知らない子もいたから「なんか元気ないね?」くらいにしか受け取ってない子もいたかも知れません。「なんか元気ないね?」というくらいで、普通に歌っていたんですね。
でも、曲の途中で、私が完全に歌えなくなったのを見て、そこから引き取るようにして歌ってくれたんです。
でも曲の途中で、私がもはや完全に歌えなくなったのを見て、そこで初めてびっくりして。
そこから、引き取るようにして歌ってくれたんです。
――とっさに、アドリブ的に。
今井:
驚きました。みんなが演技じゃない、「どうしたの!?」って心配するような、すごい表情で私のことを見ていて。
そして誰かが歌い始めたのをきっかけに、本来なら私が歌うはずのパートから、歌い始めてくれた。
「なんて素敵な空間なんだろう!」って、思いました。
おかげで、「いい仲間がいるな、うれしいな」と感じながら、ゲネを終えられたんですね。
本番の直前にも、「もし本番で歌えなくなったら、ちゃんと準備してるから、安心してね」と声をかけてくれて。
みんな、すごいなあ……って、なんだか不思議な気持ちで、出番が来るまでライブをモニターで眺めていました。
私の直前の出番だった、いつもは私にとって可愛い存在の後輩が、「私、麻美さんがステージに立ちたくなるようなパフォーマンスをしてきます!」って、声をかけてからステージに出て行ったんです。うれしかったんですよね。
おかげでスッと食い入るようにモニターを見て、素直に「なんて凄いんだ! 負けたくない!」と思えた。
――後輩の方も温かいですね……。
今井:
おかげで、それまでで一番リラックスした状態で、ステージに立てたんですよね。
でも2曲歌ったあと、泣いたことで喉のコンディションを悪くしていた上に、作品の世界観に完全に没頭してしまって、コントロールも上手くできなくて、「もうこれ以上は歌えない!」という状況になってしまった。
そのとき、フッと俯いたら……みんなが歌ってくれたんですよね。
ゲネのときのこともあったので、いつでもフォローする体制でいてくれて、すぐ助けてくれた。
そのあとの具体的な記憶って、ほとんど残ってないんです。
でも「私、今、千早だなあ」ってどこかで感じていたことだけは、はっきり覚えています。
――役と気持ちが重なった。
今井:
アニメの中でも、千早の心が折れたときに、仲間が助けてくれた。
その状況がステージに現れたとき、私もあとから震えが止まらなかったし、今でも「すごかったですよね」って言ってくださる方が、それこそ今日のようにいらっしゃる。
それだけのものが表現できたのは、クリエイター冥利に尽きますよね。
私がやりたかったもの、表現したかったものが、狙った形とは違うけれど、生み出せた。
凄く幸せなことだったなと思います。
■分岐点3:東日本大震災をきっかけに、歌を続けようと思ったこと
――お話をうかがっていて、如月千早という役、長年続く『アイマス』というシリーズの存在の重さ、大きさをあらためて感じました。
今井:
それこそ、私にとってこちらもとても大切な役である、『STEINS;GATE』の牧瀬紅莉栖を演じることができたのも、そこから話が繋がっているんですよ。
――そうなんですか?
今井:
私が紅莉栖役に決まったきっかけは、MAGES.さんで音楽活動をしていたことなんです。
そして、自分の名前で音楽活動をやろうと思えたのは、千早を通じて「私は歌が好きなんだ」って再確認させてもらえたから。
もし千早として歌っていなければ、アーティスト活動をしようなんて、微塵も思わなかったはず。全部が繋がっているんですよね。
――なるほど!
今井:
ただ、自分の名義の音楽活動については、「需要がどのくらいあるんだろう?」「今、私の音楽を聴いてくれている人は、他の作品が好きで来てくれている人なんじゃないかな? ということは、別にその作品の展開だけあれば、みんな満足するんじゃない?」と、やっぱりここでも演技と一緒で、しばらくは自信が持てませんでした。
ただ、歌うのは楽しいし、ステージで表現するのも楽しいし、修業にもなるような刺激的な活動だったので、ひとまずは続けていたんです。
でも、頭の片隅に、「いつまで続けられるんだろう?」という悩みはずっとあったんです。これが3つ目の分岐点に繋がる話なんですよ。
――では、そのお話に入らせてください。
今井:
はい。3つ目の分岐点は「東日本大震災をきっかけに、歌を続けようと思ったこと」です。
――ということは2011年、今から12年前の出来事になりますね。
今井:
そうですね。3月11日に地震が起きたとき、テレビで被災地の様子を観ながら、まず最初に思ったのは、「どうしよう!?」だったんです。
――どういうことでしょう?
今井:
私、応援してくれるみなさんからのお手紙にあった住所を、ぼんやりとですが覚えていたんです。
そこには当然、激しい被災地になった地名もあって。
被害の映像を観ながら、「私のあずかり知らぬところで、自分を応援してくれる方が天変地異に巻き込まれて、絶望しているかもしれない……」と、思わず想像してしまったんです。
実際に、少し落ち着いた頃に、「苦しいことがあった」とか、「両親が巻き込まれました」といったお手紙をいただきもしました。
――ああ……。
今井:
それだけじゃないですよね。もしご本人が亡くなられていたら、私のところまでその死が伝わってくる可能性は、ほぼないわけで……。
そんなふうに頭の中で可能性をいろいろと想像しているうちに、「自分には何ができるだろうか」と考えるようになりました。
特に、亡くなられてしまった方も含めて、声をあげられる状況にない、それでも苦しんでいる被害者の方に、自分だからできる何かを届けなくてはいけないのでは? と。
それは、日常の生活の中に、少しでも楽になれる瞬間、非日常を作ることだと思いました。だから、少しでも早くライブができる状況を作ろうと思ったんです。
――ご自分のできることは、やはり音楽だと。
今井:
当時はまだ、今ほど能動的に、私たち声優が個人でできることはなかったんですよね。
今ならYoutubeで配信をするとか、SNSを駆使して何かをやるとか、もっとできることがあるのかもしれないですけど、あのころは作品単位ではなく、個人で動くのは難しかった。それもあって、そういう考えになりました。
それまでは、チャリティーのような活動を思いついても、「私なんかが、そんなことを……」と思う気持ちの方が強かったけど、そのとき、初めて自分から、何かしら行動を起こしたいと思えたんです。
誰かを応援したい、少しでも力になりたい、そのために、自分にもできることがあるじゃない! と、強く思えたんですね。
その気持ちを感じたときに、「これからもずっと歌い続けていこう」と決めました。
それまでは、「いずれはどこかのタイミングで辞めるだろう」と、ぼんやり思っていたんですよ。
――えっ。
今井:
辞めるきっかけを探していた……ではないですけど、「いつまでできるかわからない」というのを、自分の中で音楽活動をするときの言い訳にしていたんです。
でも震災を経て、「できるかぎり、がんばろう」と思えたので、今も自分の音楽を続けています。
あれから12年が経って、ファンのみなさんもだんだんと忙しくなっていたり、音楽を取り巻く環境も変わってきているので、当時のようにたくさんの人が集まるのは難しくなりました。
それでもライブをすることで、何かが起こる。
たとえば、いつも来てくださっている、車椅子ユーザーの方がいらっしゃるんです。
その方からあるとき、「自分の人生を大きく変えてくれたのは今井さんです。今井さんに出会わなかったら、日本中のいろいろなところに、こんなに出かけようなんて思わなかったです。勇気をもらえました」と声をかけていただいたことがあって。
もう、「それは私のセリフだよ!」という感じでしたよ。
――言葉が軽くて申し訳ないのですが、それは泣けますね……。
今井:
最近はファンの方同士の結婚も多くて……それって凄くないですか?
自分がいなければ、その二人は出会えていなかったかもしれない。本当に誇らしいです。
海外からライブに来てくださるお客さんも多くて、聞いてみると、わざわざそのために来日されたとか、私と話してみたかったから日本語を覚えてくださったとか……もう、どんだけの人生に影響を与えたんだろう! って。
声優になる人生を選んでいなかったら、こんなことは絶対にありえなかった。
本当に、素敵な道を選んだなと思います。
――活動が継続すると、ファン同士のコミュニティも大切なものになるんですね。
今井:
そうですね。沖縄でライブをやったときは、有志の方々でバスをチャーターして会場まで来てくださったりとか。
そういう話を知るたびに、すごく誇らしくなります。
声優という仕事は、与えられないとできない仕事なんです。どなたかが作りだしたものに、自分というコマが上手くはまるかが大事。
でも、音楽活動は能動的にできるもの。
もちろんスタッフさんとのコミュニケーションは必須なんですけど、自分がやりたいと思い続けられる限り、何らかの形で発信できるものです。
コミュニケーションを取るための手段として、自分にはこれがあると気づけたことは、人生においてとても大きな発見だったと思います。
■29歳のとき、一度引退を考えた
――失礼な言い方になってしまったら恐縮ですが、仕事を通じて、人間としての成長を重ねて来られたような印象を、今日のお話で受けました。
今井:
本当にそうだと思います。もう少し器用だったら、20代の頃、もっと早いうちに自分が見つけられたんだろうなと思うんですけどね。
私はちょっと鈍いというか、天然で、他の人より歩みが遅かった。
声優として食べていけるようになったのが、30歳を過ぎてからなんです。普通なら諦めるところだと思います。実際、私も29歳のとき、一度引退を考えました。
当時大事にしていた仕事のひとつが、思うような展開にならなくて、これは声優という職業に自分はご縁がないのかな……と感じたこともあって。
ただ、そのときにけじめとして、当時所属していた事務所を辞めることで退路を断とうと思ったんですね。
辞めて、継続している細々としたお仕事だけは最後まで、全力で取り組んで、それが全部なくなったら、声優としての活動は終わりにしよう、と。
――自然消滅のような……。
今井:
ところが、不思議なことにそういう状況になってみたら、逆に「今井さん、面白い人だから、この役を頼んでみようかな」みたいに、事務所から離れた私をわざわざ探して、声をかけてくださる方がたくさんいらっしゃったんです。
20代の、なかなか芽が出なくて苦しかったとき、がんばって取り組んできたことは無駄じゃなかったんだ! 見てくれている人は、見てくれていたんだ! と、そのときに痛感しました。
それからはずっと、「恩返し」のつもりで仕事をしています。
――いろいろな経験をされてきて、今、「恩返し」の気持ちがいちばん大切なものになっている。
今井:
私はやっぱり、クリエイターさんに非常に憧れを持っているんです。
ゼロから物を作り出す才能を持っている方、自分では思いつかないことを世の中に発信していく方々を、本当にリスペクトしているというか、そういう方を見ているとワクワクする。同じ空間にいられるだけで極上の幸せです。
なので、自分が仕事をするときは、そういったクリエイティブな方々の一助になりたい。自分はいわゆるアニメっぽい声ではないというか、アニメに求められる典型的な声質や演技ではない。ちょっと亜流の演技をする人間です。
そんな私を必要だと言ってくださる方々に、全力で納得していただけるもの、なんなら、クリエイターの方々の想像の上を行くものをご提示したい。
できないことも多くて、落ち込むこともよくありますが、その気持ちはこれからも一生、忘れたくないですね。
――最後に未来の展望もお聞きしたいです。今後、どんな未来を歩まれたいですか?
今井:
実は今が一番ぽっかりと、やりたいことのイメージが空いているんですよね。
仕事はいただいていて、ありがたいことに本当に自分を信用してくださる方がたくさんいらっしゃって、変わらない気持ちで取り組んでいます。
ただ、2014年の大変なときから、ずっと私を支えてくれた愛猫が亡くなって、まだ半年経っていなかったりもして、ちょっと気持ちがアイドリング状態といいますか……。
だから今は、それが仕事なのか、プライベートの出来事なのかわかりませんけど、人生の凪を打破するものを、ゆっくりと待っている時期かなと思います。
今までの私の人生みたいに、予期せぬところで突然始まったりすると思うんですよ(笑)。
――たしかに今日のお話を思い返すと、納得です。
今井:
今日は「3つの分岐点」というテーマでインタビューしていただきましたけど、実は今、このインタビューの瞬間が、これまで経験してきたものが少し落ち着いて、先に向かう手前……「4つ目の分岐点」なのかもしれませんね。
ここから先の自分がどう変化していくのか、全く予想がつきません。もしかしたらこの先、全然別の仕事をしているかもしれない。
これからの未来を、そこに向かって少しずつ動いてくる空気感を、楽しみたいですね。
[了]
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