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山田太郎が語る 北島三郎の大ヒット曲『風雪ながれ旅』は、もともと村田英雄さんのために作られていた!?

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2025年2月5日 17時0分

山田太郎が語る 北島三郎の大ヒット曲『風雪ながれ旅』は、もともと村田英雄さんのために作られていた!?

山田太郎、中山秀征

山田太郎、中山秀征

ニッポン放送のイマジンスタジオから演歌・歌謡曲・J-POPのライブショーをお届けする『中山秀征の有楽町で逢いまSHOW♪』(毎週日曜朝5時30分〜/司会:中山秀征・アシスタント:石川みゆき)、2月9日放送分の収録が行われました。

石川みゆき、一条貫太、山田太郎、千田裕之、中山秀征

今回のゲストは、山田太郎さん、千田裕之さん、一条貫太さんです。

千田裕之

千田裕之

オープニングで懐かしの昭和歌謡から『見上げてごらん夜の星を』(坂本九)を歌った千田裕之さん。

「この曲は昭和歌謡の中でも、今なお歌い継がれている名曲中の名曲です。コロナ禍で何もできず、外出もままならない時期に、自分で音源を制作して歌ったのが、『見上げてごらん夜の星を』でした。夜空に輝く星座を見ていると、今、世界で起こっている戦争や争いは星からは何も見えません。もう一度、地球全体が平和を願う気持ちを込めて、この曲を歌いたいと思います」

今回披露した『歌ってよ昭和ブルース』は、森進一さんの『命かれても』や芦屋雁之助さんの『娘よ』などのヒット曲で知られる作詞家、鳥居実先生の作品です。

「16年前、レコード会社のディレクターから『曲をつけてほしい』と依頼を受けて作曲しました。このデモテープを聴いた鳥居先生が涙したという逸話があります。しかし、この楽曲はその後世に出ることはなく、今に至っています。今年は昭和100年にあたる節目の年です。この曲を今年中に世に出す計画も検討中です。また、歌いたいと名乗り出てくださる方がいれば、その可能性も前向きに考えたいと思っています」

千田裕之、中山秀征、石川みゆき

千田裕之、中山秀征、石川みゆき

千田裕之さんは、昭和33年5月2日、北海道夕張市生まれ。シンガーソングライター、作曲家、プロデューサーとして活躍しています。20代で歌手を志し、数々の音楽コンテストで優勝を果たすもメジャーデビューには至らず、一度は歌手を断念。26歳のときに西武百貨店に就職しました。その後、40歳で脱サラし、音楽プロデューサーとして活動を開始。52歳で『帰りたい』で念願の歌手デビューを果たしました。現在は仙台を拠点に、今年も精力的にライブ活動を継続しています。

「最近の楽しい話題は、旧友たちとの再会ですね。今日もこのイマジンスタジオに、中学時代の同級生たちが応援に駆けつけてくれています」

会場には手描きの横断幕が掲げられて、声援が飛び交いました。

一条貫太

一条貫太

懐かしの昭和歌謡から『海峡』(吉幾三)をカバーした一条貫太さん。昨年9月11日に発売した『〜演歌大漁節~ 海の演歌十二選』の収録曲です。

「津軽海峡を見たことがないので行ってみたい!という思いも込めて選曲しました」

新曲は、海の歌第三弾となる『令和の海演歌』です。

「鳥羽一郎さんから『海の歌はお前がいけ!』とお言葉をいただき、この楽曲を制作しました。海は出てみなければ、凪なのか嵐なのか分からないもの。この曲が、これから新しいスタートを切る方々の応援歌になれば嬉しいです」

一条貫太、中山秀征、石川みゆき

一条貫太、中山秀征、石川みゆき

一条貫太さんは、1996年、千葉市生まれ。2018年『ふたりの始発駅』でデビューしました。キャッチフレーズは「平成生まれの『昭和なボイス』!」です。

日焼けした精悍な顔立ちの一条貫太さんですが、実は、最近まで顔色が白いせいで、漁師さんから「ちゃんと仕事しているのか」と言われたこともあったそうです。

「海の歌を歌うには見栄えも大事なんだと改めて感じて、日焼けサロンに行って黒く焼いてきました(笑)」

また、先輩歌手から衣装をいただいたというエピソードでは、サイズが全然合わなくて苦笑したそうです。

「今日着ている衣装は、三山ひろしさんからいただきました。ジャケットはピッタリだったんです。なぜかズボンは裾を切って調整しました(笑)」

山田太郎

山田太郎

今週も、手拍子に包まれて代表曲『新聞少年』を披露した山田太郎さん。

「この歌の主人公の少年は、父親を亡くし、母親は病気で苦しい生活を送っています。レコーディングの際、暗い気持ちで歌ったら、スタジオにいた父から『もっと元気に歌うんだ!』と気合を入れられ、その通りに歌ったらヒットしました(笑)」

さらに、北島三郎さんの代表曲『風雪ながれ旅』も披露した山田太郎さん。この歌の誕生秘話についても語りました。

「もともと船村先生が村田英雄さんのために初めて作った曲だったんです。当時のプロデューサーが『北島三郎に歌わせてほしい』と提案し、北島さんが歌うことになり、大ヒットしました。もし村田さんが歌っていたら、同じようにヒットしたかはわかりませんが、当時村田さんが歌っていた『風雪ながれ旅』もとても良かったですよ。今日は天国の村田英雄さんに届くように、頑張って歌います」

山田太郎、中山秀征、石川みゆき

山田太郎、中山秀征、石川みゆき

山田太郎さんの『新聞少年』が大ヒットした昭和40年、歌謡界では美空ひばりさんや島倉千代子さん、映画界では石原裕次郎さんや小林旭さんといったスターばかりが活躍していました。

「その頃の私はまだペイペイでしたね。『新聞少年』がヒットして、裕次郎さんの後に歌ったことがあったんです。歌い終わった裕次郎さんが『お、ご苦労さん、頑張れよ』と励まされたときは、本当に嬉しかったですね」

また、美空ひばりさんとは素敵な思い出をうかがいました。

「ひばりさんの楽屋の前を通りかかった時、手招きされて、『おはぎ、食べていきなさい。うちのお母さんが作ったのよ。どう、美味しいでしょう?』とご馳走になったんです。他にも出演者がたくさんいる中で、私だけ特別におはぎをいただいたことは、今でも忘れられない大切な思い出です」

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