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津波警報に多くの漁師が気付かず 台湾地震発生時の宮古島 ヘリから情報伝達求める声

沖縄タイムス+プラス / 2024年4月21日 7時33分

津波警報から41分後の午前9時42分、ようやく沖へと避難するモズク漁の漁船=3日、宮古島市平良狩俣沖

 台湾東部沖地震で沖縄県内各地に津波警報が出された3日、宮古島ではその警報を知らないまま漁をしていた漁師が多くいた。漁師からは、ヘリなどを使った上空からの情報伝達を強く求める声が噴出。沖合で活動する漁民に対して、いかに迅速確実に情報を伝えるか課題が見えた。(新里光宏通信員)

 宮古島地方を含む県内で津波警報が出されたのは東日本大震災以来13年ぶりだ。13年前は2千キロ余り離れた震源域の三陸沖から約3時間50分後、宮古島市の平良港で45センチの第1波、そのさらに1時間後に65センチの第2波を観測。県内6カ所ある検潮所では最大の津波だった。県のまとめによると、島最北端の狩俣の沿岸では、養殖モズクが流されたり網に絡まったりして3600万円余の被害を受けた。

 今回の発令は地震発生から間もない午前9時1分だった。台湾から宮古島までは300キロ余。宮古テレビの報道記者だった13年前に、大きな被害が出た狩俣の養殖モズクの海域が頭をよぎり、一望できる高台へ急いだ。集落内では、高台避難を呼びかける防災無線の放送が流れ、緊張感が漂う。しかし、現場海域は波が穏やかで、普段通りモズクを収穫する漁船が5隻ほど確認できた。気象庁が予想する3メートルの津波到達時間まで30分を切っていた。

 しばらくすると、小型船が養殖モズクを収穫中の船に接近。警報情報を告げたのか、数分後には漁船が次々と沖の方へ向かった。

 モズクの収穫作業は、漁師が船上と水中に分かれ連携して行う。長年親子で漁に携わる川満寿明さん(81)は当初、警報発令を知らず「収穫場所を移動しようとした際に携帯電話で知った」。狩俣吉弘さん(70)は「船上はエンジン音が大きく全く気付かなかったが、漁師仲間がやって来て知らせてくれた」と安堵(あんど)した。「まともに3メートルの津波が来たら、たまったものではない」と言葉を継いだ。

 一方、1人で定置網漁を終え、午前11時前に狩俣漁港に戻った前里弘治さん(83)は「養殖モズク海域に漁船がないので普段より早く漁を終え帰港したか、またはヘリや飛行機が見えたのでヤピシ(八重干瀬)で座礁事故でもあったのかと思った」と振り返る。漁港に向かう水路が白く濁っており、漁港に戻って初めて、緊急事態を把握した。

 もし、上空などから情報を伝える手段があれば、作業を中断し、船で沖に向かうなど危険回避の行動が取れたかもしれない。狩俣さん、前里さん共に「万が一のためにヘリが来て合図してくれたら助かる」と緊急時の対応を強く要望した。

 東日本大震災時は、モズクの収穫時間外だったが、今回は漁の真っ最中。島の沿岸海域で漁をする漁民へ緊急時にどう対応するか、改めて課題が浮き彫りになった。

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