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「僕は病気なの?」卒・入業式も文化祭も。不安と緊張でどうかなりそうだった。悩み続けるも病名がつかない【グレーゾーンの苦悩】

OTONA SALONE / 2024年8月9日 16時30分

埼玉県在住のHさんは、スラッと背の高い好青年。大学生の頃から販売員のアルバイトをしていたスポーツブランドのショップで働いています。特段、なんの悩みもないように見えますが、長年に渡り苦しんでいることがあります。「僕はなんの病気なのでしょうか。精神科に行っても診断名がつかず、グレーゾーンのまま生きています。」

 

【発達障害、生きづらさを考える #4 前編】

予兆、息ができない!

思い返せば、それは幼稚園の時に始まっていたのかもしれません。お母さんの記憶をもとに辿ります。

「出産も問題なく、健康な赤ちゃんだったのですが、幼稚園に入って年長の1月くらいに過呼吸発作のような症状が出てきて、心臓がバクバクするとか苦しいとか言うようになりました。当時は過呼吸だと分からなくて、『どうした?どうした?』となだめるしかありませんでした。30分くらいおんぶしたりベランダに出たり、静かなところに連れて行ったりしました。」

Hさんは年長クラスの終わりくらいから幼稚園に行くのがしんどいとか、幼稚園バスの匂いが臭いから乗るのが嫌だとか、何かと理由をつけて「幼稚園に行きたくない」と言うようになりました。卒園式や小学校の入学式も親の席から離れられず、お母さんは困ってしまいました。

小学校入学を前にした3月、Hさんは1日に3、4回発作を起こすようになりました。心配になったお母さんは、Hさんを連れて最寄りの小児科に行き、埼玉県の大きな病院の精神科を紹介され受診したそうです。

「過呼吸の薬が出たこともあり、たまに飲ませました。でも、いろんなことをやって落ち着くのなら飲まなくてもいいと思いました。いざとなったらこれを飲めばいい、薬は、それで病気を治すというより本人のお守りのように持っていた感じです。はっきりした病名も分からないまま薬を飲ませる意義が分かりませんでした。」

Hさん本人の診察は最初の1、2回くらいで、その後はお母さんが月に一度主治医と面談しました。他の精神病院も2箇所ほど受診して、カウンセリングも受けたそうです。しかし、これといった進展はなく、そのままやり過ごしたそうです。

 

 

このままやり過ごしたい

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小学校1年生の時の担任が厳しかったからか、Hさんは授業の途中でも「苦しい」と言って帰ってくるようになりました。学校もそんなHさんを問題視していて、お母さんは学校に呼ばれることもありました。ただ、主治医からは、「学校に行けているのなら、そのまま行かせるように」と言われたと言います。

「2年生になって担任が変わると、学校に行けるようになったので通院もやめました。ただ、折に触れて学校に行きたくないと言って不登校になりました。このまま不登校になってしまうのかなと思ったこともありますが、ギリギリのところで工夫して、なんとか小学校を卒業することができました。」

不思議なことですが、Hさんは小学校の頃は自分で友達と遊びに行く計画を立て、サッカーをしよう!と自ら友達を誘うこともありました。そのため、お母さんはなんとかこのままやり過ごしたいと思いました。

 

 

笑顔恐怖症

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しかし、お母さんの願いを打ち砕くように、中2くらいから再び症状が強くなりました。ここからはHさんの記憶が鮮明なので、Hさんにお話してもらいます。

「わーっと冷や汗が出たり、発作的に苦しくなったりしました。そういう症状が強くて、それでも私立の第一希望の高校があったので、受験して受かりました。ある程度勉強もできたし、いじめられることもなく、比較的友達も多かったのに、なぜか僕は死にたいとずっと思っていました。何に悩んでいたのか自分でも分かりません。思春期だったのかもしれませんが、“笑顔恐怖症”に苦しんだことは覚えています。クラスメートが面白いことをすると、『笑わなきゃ、どうしよう』とプレッシャーを感じて苦しくなりました。不安と緊張で顔がこわばり、そんな僕を見て向こうも『えっ!?』となってしまう。中二、中三の時は、人に会うとそうしたことが避けられないので、たまらなく嫌でした。」

他人とどう関わっていいのか分からず悩み続けてきたHさんですが、家庭では全く問題がない子どもでした。

「僕は幼い頃から家族に気を遣う子で、反抗期もなければ、親とケンカになったこともありません。父は無駄なことは言わないタイプですが、カッとなる時もありました。父といるとビクビクしていて、怒らせないように顔色を見ながら過ごしていました。幼い頃から我慢したり空気を読んだりしていたことが影響したのでしょうか。」

しかし、Hさんは内向的というわけではなく、中2の時、「服を買いに行く」と、一人で好きなスポーツブランドの店に出かけてパンツを買ってきました。なんとか登校もできるし、欲しいものがあれば一人で買い物にも行く。そうした行動がお母さんを惑わせ、期待も持たせました。

 

 

なぜ不安なのか分からない

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高校生の頃、Hさんは人と話すときにコンプレックスや劣等感を強く感じるようになりました。

「常に劣等感があって孤独でした。みんなよくしてくれて可愛いとか言われましたが、自分はいつも空虚でした。みんなが描いている自分と実際の自分が違っていて、本当の自分は違う、カッコ悪いんだと自己否定しました。高2の時は死にたい気持ちが強くなって、電車通学していたのですが、ずっと線路の方を見つめていました。そのくせプライドが高くて、ダサい自分が許せなかった。ダサい、ダサいと思っていました。常にかっこいい感じに憧れていて、自分を殺したかったのを覚えています。」

Hさんは、毎日葛藤し、悶絶したそうです。「自分はダサい」と思っていたのですが、両親にも姉にも誰にも打ち明けられず、孤独だったと言います。

「まさか息子がそこまで思い詰めているとは夢にも思わず、駅前の繁華街でずっと膝を抱えていたと後から聞いて驚きました。」

高校生になるとスラッと背が高くなり、「カッコいい!」と女の子からもモテるようになったHさん。友達からも愛されているし、一見普通の高校生だったそうです。しかし、それに反して、ますます強い不安を感じるようになったと言います。「なんで不安なんだ?」と自問自答しても答えが見つからず、いまだに原因は分かりません。

「いつも通学の途中から緊張してきて、教室に着く頃には不安と緊張でいっぱいでした。今でもはっきりした理由は分かりません。不安感が非常に強くて、今日一日、人と会う場面が何回あるんだろうと数えるほどです。それはいまだに変わることはありません。」

 

小学校から高校までHさんにはずっと変わらないことがあります。

「先生から怒られるのも怖くて嫌なので、できるだけ問題を起こさないように気を遣ってきました。一番の悩みは、いつもと違うことが起きることです。文化祭や入学式、卒業式、そうしたイレギュラーなイベントがものすごく苦手です。入学式ともなると、どういう校舎なのか、どういう先生なのか、どういう場所なのか、写真撮影はあるのかなど、考えると不安に押し潰されそうになりました。文化祭とかはみんな気持ちが盛り上がるじゃないですか。普通の人にとっては楽しむ時間かもしれませんが、僕は友達の気持ちとは正反対。不安感が強くなってみんなと一緒に盛り上がれないから孤独だし、部室に一人こもってゲームをしていました。卒業式もみんなより早く帰ってしまうので、写真撮影に参加したことがありません。思い出の写真もありません。」

苦しみながらもなんとか高校を卒業し、大学に進学したHさん。しかし、不安や緊張から解放されることはなく悩み続けました。後編では、Hさんの大学時代や職場での悩みに迫ります。

 

 

岡田 俊 先生の「ここがポイント!」

岡田 俊 先生

発達障害には、うつ病、気分の波のある双極症(躁うつ病)、全般不安症やパニック症、恐怖症などの不安症、強迫症など、さまざまな精神疾患を伴うことがあります。このようなとき、もともとの発達障害による生きづらさが更に増大するのです。客観的に見ると、その人が抱えている生きづらさは、もともとの発達障害以上に他の精神疾患による部分のほうが大きい、と見えるかもしれません。実際、合併する精神疾患の治療を行うと、日常生活の多くが改善し、残っている発達障害特性に伴う生きづらさは、発達障害の診断に達するか達しないか微妙な水準のことがあります。そうしたとき、発達障害特性はグレーゾーンにとどまる、という説明を受けることがあるかも知れません。

しかし、発達障害特性がグレーゾーンレベルにとどまるからといって、それに伴う困難がないわけではありませんし、何よりも精神的な不調が、発達障害特性を背景にしたストレスから生じていることはあるのです。ですので、当事者から見れば、発達障害はグレーゾーンレベルで精神疾患が主といわれても、何か分かってもらえた気持ちにはなりませんし、自分の生きづらさが生じてきた道のりの全貌が見えた気持ちにならないことは考えられます。

グレーゾーンであるということは、発達障害特性を否定しているわけではありません。診断の有無ではなく、いまの生きづらさが何に由来するかを考え、対策を講じていきましょう。そのうえで、診断がつかないレベルであったとしても発達障害特性を直視することが必要です。同時に、発達障害特性を起点にした理解をするからといって、精神疾患の治療の有効性を否定するのももったいないです。Hさんが感じているようなパニック発作や予期不安は、抗うつ薬などの服用で比較的良くなることがあります。

グレーゾーンの人は、自分の特性を補うかのように気を遣ったり、常に気分を張り詰めていたりするので、疲れやすいことがあります。また、周囲の目を気にしたり、そのために不安が高まって人前で行動できなくなったりすることがあります。人の気持ちや状況を、手に取るようにはわからないが、しかし、気遣いはできる、というような障害特性だからこそ生じる悩みです。その葛藤を、主治医や心理の先生と話し合い、毎日の暮らしに役立てていくことが大切です。

 

▶【後編】を読む▶ 『「誰か、病名をつけて!」はっきりした「病名」がつかないまま社会人に。「グレーゾーンの生きづらさ」を抱えながら働く、ということ』__▶▶▶▶

 

【岡田俊先生プロフィール】

国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長/奈良県立医科大学精神医学講座教授

1997年京都大学医学部卒業。同附属病院精神科神経科に入局。関連病院での勤務を経て、同大学院博士課程(精神医学)に入学。京都大学医学部附属病院精神科神経科(児童外来担当)、デイケア診療部、京都大学大学院医学研究科精神医学講座講師を経て、2011年より名古屋大学医学部附属病院親と子どもの心療科講師、2013年より准教授、2020年より国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長、2023年より奈良県立医科大学精神医学講座教授。

 

 

 

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