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平安時代、「台風」を「〇〇」と言っていた。強風対策のために、家の中が丸見えになっていた⁉

OTONA SALONE / 2024年9月10日 15時1分

*TOP画像/土御門殿での曲水の宴の最中に雨 大河ドラマ「光る君へ」 34話(9月8日放送)より(C)NHK

 

『光る君へ』ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は平安時代における「台風」について見ていきましょう。

 

◀この記事の【前編】を読む◀ 『格差がある男女の、結婚にとらわれない「愛のかたち」とは? 大人になっても変わるものと変わらないもの【NHK大河『光る君へ』#34】』__◀◀◀◀◀

平安時代に「台風」という言葉はなかったが…雨風による被害は現代同様に多発

今年も台風シーズンに入り、その影響を懸念する日々が続いていますよね。先週は台風10号による被害が九州や東海を中心に多く発生しました。

 

平安時代においても台風は多くの人たちを悩ませていました。現代においても台風は8~9月頃に多く来襲しますが、当時においても8月は台風が多かったようです。『河海抄(かかいしょう)』には当時の8月の台風による影響が綴られています

 

とはいえ、平安時代において「台風」という言葉はなく、「野分」が現代でいう台風と同様の意味で使われていました。野分には野の草を吹き分けるという意味があり、この言葉から野の草を吹く強い風をイメージできます。また、台風だけでなく、台風の余波の風も野分と言っていたそうです。

 

現代においても台風一過後は晴れてカラッとした日になることが多いですが、当時においてもそうだったようです。清少納言は『枕草子』において「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」と綴っています。彼女によると、台風の翌日はとてもしみじみとしているようでおもしろいそう。また、時代は少し先ですが、兼好法師の『徒然草』には「野分の朝こそをかしけれ」と綴られています。

 

紫式部や藤原実資が経験した台風の中でも、989年8月に平安京を襲った台風は特に印象的であったと思われます。内裏の諸門にも大きな影響を与え、被害は大きなものだったようです。

 

 

調度品の片付けや工事など…平安時代の人たちも台風に備えていた!

台風の前日や当日には屏風が飛ばされないように、すべて畳むこともあったようです。屏風を畳むと部屋の中の仕切りがなくなるだけでなく、奥まで丸見えになりますが、そんなこと言ってられませんもんね。

 

また、鴨川は大雨になると洪水が起きることも珍しくなく、多くの人たちから恐れられていました。平安京造営の頃から築堤工事が実施され、洪水対策が行われていましたが、鴨川の洪水を完全に抑えるのは平安時代を通してできなかったといわれています。

 

台風や風が強い日には宮中などで御簾(みす)を押さえる女房の姿も見られたんだとか…。

 

 

参考文献

飯田蛇笏、 富安風生、 水原秋桜子、 山口青邨、 大野林火、 井本農一、 山本健吉『平凡社俳句歳時記 秋』平凡社 2012年

繁田信一『『源氏物語』のリアル: 紫式部を取り巻く貴族たちの実像』PHP研究所  2023年

 

≪アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗さんの他の記事をチェック!≫

 

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