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「経済的な自立は譲れない!」と葛藤。自信を失って迷子になりながら、二度の出産で向き合った「ワーママとしての生き方」

OTONA SALONE / 2024年12月26日 21時0分

様々な価値観が多様化する昨今、「家族像」もそれぞれに唯一の在り方が描かれるようになりつつあります。この「家族のカタチ」は、私たちの周りにある一番小さな社会「家族」を見つめ直すインタビューシリーズ。それぞれの家族の幸せの形やハードル、紡いできたストーリーを見つめることは、あなた自身の生き方や家族像の再発見にもつながることでしょう。

 

今回ご紹介するのは、都内在住・40代前半のワーキングマザー、ゆうさん(仮名)です。

「経済的自立」を強く意識しキャリアを積み上げ、結婚後は2人の息子に恵まれたゆうさん。現在は夫婦ともに、互いの理想の生き方を実現すべく独立・起業を叶えました。――そう聞くと「順風満帆」に思えますが、出産直後はゆうさん自身が人生迷子に陥ったことも。さらに1年ほど前からは、小学校への登校が困難になった息子さんに伴走する日々を送っています。

移り変わるライフステージの中で、夫婦関係はどのように変化してきたのか?我が子が困難を抱える中、それをケアし支えるためのヒントとは?

ゆうさんご一家の「家族のカタチ」について、お話をうかがいました。

【家族のカタチ #5(前編)】

「結婚してもキャリアは譲れない」経済的自立へのこだわりは苦労した母の教えがあったから

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「絶対に経済的に自立していたい!」――そんな価値観を強く抱いて生きてきたと話すゆうさん。背景には、母の影響があるといいます。

「母は終戦の年に生まれ、父親を戦争で亡くしています。戦後の過酷な状況の中、母の母、つまり私の祖母が女手一つで苦労して3人の子どもを育て上げた、と聞かされてきました。だからこそ『経済的に自立していることは、自分と自分の家族はもちろん、その周囲の人までも助ける力を持つことでもある』という母の考え方が、私の根っこに自然に根を張ったのでしょうね」。

 

さらに、ゆうさんが社会に飛び出したおよそ20年前は、いわゆる就職氷河期。

「当時は『このチャンスを逃したら試合終了』といっても過言ではない心境でした。その危機感は今も変わらず強く私の心にあります。経済的自立へのこだわりに加えて、この危機感ですから……私にとってキャリアは、未婚であろうと既婚であろうと手放せないものでした」。

 

 

負の感情を貯めこむ前に、その都度リセットしてくれる――夫との出会いで初めて満たされた心

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そんなゆうさんですから、30歳の時に迎えた結婚は、自立した2人の大人が共に生きる約束でこそあれ、生活を大きく変えるものではなかったといいます。

「夫は自らにストイックな一方で、他人に対してはとても柔軟。トライアスロンを趣味にするような精神的なタフさと、レジリエンス(困難やストレスに対してしなやかに立ち直り、精神的健康を維持する能力)を持つ人です。そんな彼の臨機応変さや人間性もあって、家のことはお互いに必要な役割をやればいい、という夫婦の形が自然に出来上がりましたね」。

 

さらにこの結婚はキャリアをダウンさせるどころか、ゆうさんの内面にいい変化を生んだようで――。

「20代の頃は、自信がなかったゆえの恋愛体質とでも言いますか……常に相手はいるものの、深い信頼関係をじっくり育むようなことがうまくできませんでした。仕事もプライベートも一生懸命なのに、やればやるほど空回り。焦燥感をずっと抱えていたような気がします。ところが夫との出会いで、初めて心が満たされるような感覚を得ることができました。

それまでの自分は、“怒りのスタンプカード”にモヤモヤやイライラのポイントを一つずつ貯め込んで、最後に大爆発!ということが多かったんです。でも夫は、私がカードにスタンプを押そうとするとその都度向き合い、ネガティブな気持ちを丁寧にリセットしてくれました。そんな彼の努力が私の心を落ち着かせてくれたのだと思います」。

 

感情の絡まりをその都度ほぐし、信頼関係を編み直す――それを土台に、結婚後も「経済的自立」を譲ることなくバリバリ働くことができたゆうさん。新たに生まれた小さな家族は、そんなカタチで始まりました。

 

人生迷路に突入した初めての出産。あらゆる理想をつなぎ合わせて行動もベクトルもちぐはぐに

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夫との良好な関係を構築していたゆうさんでしたが、そこに揺らぎが生まれたのは、結婚から2年後。長男の出産という出来事でした。

「出産した私にとって一番の衝撃は、『自分が経済的な自立を失った』という現実でした。出産前は、いわゆる夫婦別会計。『住居費は夫で、食費は私』というように科目を分担し、残ったお金は各自自由に使っていました。ところが、育児休暇中の私の収入は激減。当初の分担だと、産休中の収入では私の担当科目分が賄えなくなったんです」と、ゆうさんは当時を振り返ります。

 

「育児休暇は1年半。収入減は一時的なことだと、頭ではわかっていました。『これからは、夫婦別会計ではなく収入を合算した家計管理に変更しよう』と、夫と話し合うこともできました。それでもやっぱり、自分自身が大事にしてきたものが損なわれたような気がして……急に劣等感を抱き始めたんですよね。ものすごく悲しくなって、気持ちが折れそうになったことを覚えています」。

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そんなゆうさんですから、育休明けは仕事復帰をしてキャリアを継続することに微塵も迷いはなかったのだそう。それでも、育休の真っ最中は迷子のような感覚に陥ったのだとか。

「出産を経ると、バリキャリコース・ゆるキャリコース・専業主婦コース……と、生き方の岐路に立ちますよね。私自身は迷うことなくキャリアの継続を選んできたし、育休後もその道を歩むと決めていました。ところが、その隣に横たわる選択肢を初めてじっくり眺める機会を得たことで、そちらの良さもわかってしまった。『仕事は絶対に辞めたくないけれど、時間をかけて隅から隅まで手料理が並んだ食卓も捨てがたいよね』――と、それぞれの良さをすべて手に入れたい思いに駆られてしまったんです。

その結果、突然パン教室に通ってパン生地をこねてみたり、勢いに任せて使い道もはっきりしない資格を取ったり……。血迷って、情報や誰かの価値観に中途半端に振り回されていた時期でした」。

 

 

夫はまるでサンドバッグ!誰かが勝手に描いた「イクメン像」を押し付け、八つ当たりし続けた2年間

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そんな迷子のゆうさんは、夫に対しても自分以外の誰かが描いた理想をぶつけていたといいます。

「当時は『イクメン』という言葉が生まれた時期。それに対して当時の夫は、朝9時から午前3時まで数か月働き続けるような生活だったので、育児どころか家にすらいません。あの頃は、世で語られるイクメンとかけ離れた夫に、私が怒りをぶつけてばかり。出産後の数年は、夫はまるでサンドバッグのようでしたね。

先ほどお話した通り、夫はしなやかに対応できる人ですから、耐え続けてくれましたけれども……。最近『あの時はごめんね』って謝ったら、『きっとホルモンバランスが崩れているから仕方がないんだろうなと思っていた』って当時の心の内を明かしてくれました(笑)」。

 

相変わらず向き合ってくれる夫であることに変わりはなかったのに、自らの迷いやホルモンの変化で夫婦関係を崩してしまっていた、と振り返るゆうさん。

そんな二人の関係は、次男の出産を機に徐々に改善へと向かいます。初めての出産からおよそ2年後のことでした。

 

私は、夫は、何を喜びとして生きていくか――自身の人生と初めて向き合い見えてきた、次なる「家族のカタチ」の扉

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次男の出産前後を境に、じっくり育児に関わる時間が増えたというゆうさんの夫。そんな日常のある出来事が、家族のカタチを変えるきっかけになります。

「二度目の出産直前、私が切迫早産に……。夫はちょうどその頃、長く勤めていた会社を辞め転職を考えていた時期だったこともあり、1~2ヶ月仕事を休んで育児を優先してくれました。そんなある日、長男の保育園の迎えに行き始めた彼が目にしたのが、とびきりの笑顔でクラスメイトと遊ぶ長男の姿だったんです。

夫はもともと子どもたちと積極的に関わり、全力で遊ぶ人。それでも、友達同士で遊ぶ長男の笑顔は、それまで自分が関わる中では目にしたことがないとびきりの表情だったそうです。『何だ、これ!?』って衝撃を受けていましたね」。

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その一方で、ゆうさんにも変化が生まれていました。長男の育休同様、次男の出産でも心の葛藤はゼロではなかったものの、『これから1年半の育休をどう過ごそうか』と、以前よりも本質的に深く考えていたのだそう。

「次男の出産前後に、夫が突然ある手帳を買ってきたんです。『今年、俺はこれを使って目標を立てる!』って急に言い出しました。実は私は小学生の頃から手帳を書き続けるほどの手帳好き。だから夫の姿にワクワクしてしまって、『私もその手帳を買うから、一緒にこの一年の目標を書いて、見せ合いっこしようよ!』と誘ったんです。

そこで私自身が向き合ったのが、これからの人生、そして1年半の育休の過ごし方でした。長く手帳を書き続けていた私も、そういった視点で真剣に手帳と向き合うのは初めて。夫と見せあうという約束が強制力になって、手探りながらも、自分の心の内や未来を本気で紙に書き出しました」。

育休中にできそうなキャリア関連の取り組み、復帰後の仕事のこと……それに加えて、家庭や家族についても言葉にしていったというゆうさん。

「たとえば『夫とずっと仲良しのパートナーでいたい』、そのために『結婚してよかったと思ってもらえるように、人生を共有して、役割を変えながら支え合いたい』という思い。あるいは『家事を効率化して家族で過ごす時間を最大化する』という、少し具体的なことも。小さな野望から大きな志まで、自由にイメージを膨らませました」。

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「実は本音とずれていた部分もあったし、書き出したことのすべてが叶ったわけでもなかった」と話すゆうさん。それでも、一度目の出産のときと大きく違ったのは、「誰かの情報や価値観」ではなく、「自分自身の内なる本音や価値観」と向き合うその姿勢でした。

この頃から、ゆうさんと夫の間では、「どんな生き方を選び取っていくか」という会話が増えのだそう。様々な出来事が重なり合ったこの時期から間もなく、ゆうさん一家の「家族のカタチ」はこの後大きな変化を迎えることとなります。

 ▶つづきの【中編】を読む▶▶▶▶▶

 

 

 

 

 

≪ライター 矢島美穂さんの他の記事をチェック!≫

 

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