パリを120%楽しむために。世界一パラリンピック史に詳しい“オタク”が選ぶパラリンピックの雑学
パラサポWEB / 2024年8月29日 6時32分
いよいよフランスで初めての夏季パラリンピックが始まる。パラリンピック研究の第一人者でイギリス・コベントリー大学准教授のリサーチフェロー、イアン・ブリテン氏に、“パラリンピックにまつわる雑学”を教えてもらった。
1964年の東京大会には、3つの大会名があった!「1964年に行われた東京大会は、初めて『パラリンピック』という名称が使われた大会ですが、大会組織委員会は、3つの大会名を使っていました。1つ目は、パラリンピックの生みの親であるグットマン博士が選んだ『第13回国際ストーク・マンデビル競技大会』、2つ目は『国際身体障がい者スポーツ大会』、3つ目は日本国内で“愛称”として使われた『東京1964パラリンピック』です」
3つの名前が存在する背景には、「大会が2部構成で行われたこと」、「大会をわかりやすく紹介するため」という理由がある。
大会の1部は、車いす使用者が参加する「国際ストーク・マンデビル大会」、2部は、すべての身体障がい者が参加できる「国際身体障がい者スポーツ大会」という構成だった。
当時「国際ストーク・マンデビル競技大会」の知名度は低かったため、大会組織委員会は、「オリンピック開催後に開催国で行われる国際ストーク・マンデビル競技大会。つまりParaplegia(対まひ者)のOlympic(オリンピック)である」と記者たちに説明した。そしてある記者が「それならパラリンピックにしたらどうか」と言い、“正式な愛称”として使われた。
1964年の東京大会の記録用紙が2日間行方不明?「男子やり正確投げと女子やり正確投げの記録用紙が、順位タイの選手による“スローオフ”が行われた後に行方不明に。この記録用紙は、行方が分からなくなった2日後に見つかりました。行方不明になっていた記録は海外メディアで報じられましたが、公式記録からは除外されてしまいました」
“やり正確投げ”とは、やりを投げる線から、男子は10m、女子は7mの距離にある直径3mの標的に向かってやりを正確に投げて採点する競技。1960年のローマ大会からしばらく実施されていた。
東京大会の記録は公式記録ではないため、国際パラリンピック委員会のWEBページにも掲載がない。
ほかにもある! 1964年の東京大会は……
・選手や大会関係者などにアクレディテーション(アクセス権限)カードを発行した初めてのパラリンピックである。
・東京オリンピック1964のスポンサーの一つだったたばこ会社は、パラリンピックを記念したパッケージデザインのたばこを作った。
・やり投げ、砲丸投げ、円盤投げの初日、冷たい向かい風のために競技が中断され、のちに再開された。
「オランダの車いすテニスプレーヤーであるエステル・フェルヘール選手は、ロンドン大会で470連勝という偉大な記録を生み出しました。それと同時に、ロンドン大会ではシングルスとダブルスで2つの金メダルを獲得しました。これは彼女にとって6つ目、7つ目となる金メダルでした」
photo by X-1フェルヘールが最後に負けたのは、2003年1月30日の試合だった。フェルヘールは2013年2月に引退。つまり、約10年間無敗だったことになる。
12歳で車いすテニスを始め、1999年に初めて世界ランキング1位になったフェルヘールは、13年間世界チャンピオンを守り続け、シングルスで169のタイトルも獲得している。
「史上最も成功したパラリンピック」がイギリス国民に与えた4つのインパクト「2012年のロンドン大会は、イギリス社会に大きなインパクトを与えました。 閉会式の開催前に行われた調査では、以下のような結果が出ました」
・イギリスの成人3人に1人が、障がいのある人に対する態度を変えた。
・65%は、パラリンピックが国内における障がいのある人に対して、見方を変えることができるようなったと回答した。これは2010年6月の調査から40%上昇した。
・イギリスの成人81%は、パラリンピックが障がいのある人に対する一般の見方にいい影響を与えたと考えた。
・パラリンピックは、障がいではなく能力に関するものであり、できないことではなく、できることに関するものである。
さまざまな成功を収めたロンドン大会は、史上最も成功した大会といわれている。国民や、イギリスに住む人たちの考えにも多くの変化をもたらし、今もなおそのレガシーが受け継がれている。
ほかにもある! 2012年のロンドン大会は……
・イギリス文化やイギリス製品を紹介する一環として、陸上競技のフィールド種目では、投てき用具をサークルに運ぶ際などには、無線操作(ラジコン)式のミニチュアの「Mini(ミニ)」が使われた。Miniはイギリスで誕生した小型乗用車として有名だ。
「これまで、夏季パラリンピックと冬季パラリンピックの両方を開催した国は6つ。パリ2024パラリンピックを開催するフランスは、その7番目の国になります」
夏冬のパラリンピックを開催した国と都市は以下の通り。 ・イタリア
-ローマ(夏季、1960年)
-トリノ(冬季、2006年)
・日本-東京(夏季、1964年と2021年)
-長野(冬季、1998年)
・カナダ-トロント(夏季、1976年)
-バンクーバー(冬季、2010年)
・アメリカ-ロサンゼルス(夏季、1984年)
-アトランタ(夏季、1996年)
-ソルトレークシティ(冬季、2002年)
・韓国-ソウル(夏季、1988年)
-平昌(冬季、2018年)
・中国-北京(夏季、2008年)
-北京(冬季、2022年)
・フランス-アルベールビル(冬季、1992年)
-パリ(夏季、2024年)
夏冬合わせて2度目のパラリンピックが行われるフランスphoto by Takamitsu Mifune主な研究テーマは、障がいとパラリンピックスポーツの視点から見る社会学的歴史学的スポーツマネージメント。イギリス・ベントリー大学准教授
▶インタビュー記事:パラリンピック研究の第一人者が語るオリパラのレガシーとは
text by TEAM A
key visual by Takamitsu Mifune
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