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江戸の家事はラクなのに? 研究者が語るもっとも重労働だった「昭和のくらし」

PHPオンライン衆知 / 2024年8月15日 12時0分

昭和のくらし博物館 井戸
↑東京都大田区南久が原の昭和のくらし博物館内にある井戸

西洋文化の流入により、家事は女性にとって大きな負担となりました。そこで家電製品が一般家庭にも普及し、家事の省略化が進みましたが、現代では便利さや効率性を追求した結果、大量消費や環境破壊が進み、人々の暮らしからゆとりが奪われつつあります。本稿では、昭和のくらし博物館館長である小泉和子さんが、昭和時代の家事事情を振り返り、現代社会が抱える課題を考察します。

 

歴史的に一番大変だった「昭和の家事」

昭和は歴史的に一番、家事が大変な時代なんです。江戸時代の家事はとても楽なものでした。洗濯は1ヶ月に1回ぐらい。洗濯するといっても、タライの中に水を入れて、脇に腰掛けてチャポチャポと洗うぐらいのものです。よっぽど汚れていたら灰汁などを使ってしっかりと洗いましたが、大抵の場合は水で洗うだけ。洗うものも、ふんどし、腰巻、襦袢ぐらいしかなかったのです。

それが明治になり西洋から色々な文化が入ってきて、これまでの伝統の和風の上に、洋風が乗って2つの家事をやることになってしまいます。

例えば洗濯です。西洋の洗濯は円筒形のタライに洗濯板を入れ、石鹸とブラシを使って行われていました。円筒形ですので、立ったまま、流しのような広い場所で洗っていたんです。

しゃがんで、タライで水に浸して洗うだけだった日本にも、洗濯板と石鹸が持ち込まれました。洗うものも、シャツやシーツなどが増えて、洗濯は一気に大変な作業になりました。洗濯の歴史の中で、一番重労働の時代になったのです。

一事が万事、西洋から入ってきたものと、日本のものが和洋二重になっていきました。西洋の文化は明治のうちに持ち込まれましたが、明治時代にそういったものを取り入れたのは上流階級だけでしたから、女中にやらせていたわけです。

ところが昭和になると一般家庭にも普及して、みんな洋服を着るようになりました。昭和30年頃までは、家に帰ってくると洋服から着物に着替えたりと、着物も日常的に着ていましたから、洋服・着物・下駄・草履・靴...そのように何でも和洋2つ揃えることになりました。

料理も煮る・焼く・刺身だけだったものが、洋食が広まったことでフライパンなどの調理道具や食器の種類も増えました。昭和の台所ほど、いろんなモノに溢れていた場所は他にありません。そして家事は全て女性に押し付けられていたので、女性たちはなんとか家事から解放されたいと願っていたのです。

ちょうどその頃、企業は軍需産業から平和産業に切り替えていかなければならない時期でした。そこで、みんな家電の商売に切り替えたわけです。どの企業も家電を売り込むようになり、家事がどんどんと省略されていきました。

 

「商店街の復活」が社会にもたらす影響

昭和のくらし博物館
↑昭和26年に建築された旧小泉家住宅。現在は、昭和のくらし博物館として家財道具ごと公開している。

工業化の進展と資本主義によって、人々は重労働だった家事から解放されました。しかし、それが手放しで喜べることかというとそうではありません。資本主義は大量のエネルギーを消費し、森林伐採をすすめるなど、環境破壊を引き起こしています。さらに、長時間労働、遠距離通勤を慢性化させました。

人々の暮らしにはゆとりがなくなり、現代では家事はただ面倒なものというイメージだけが浸透しています。しかし、家事の中には創造的なものがたくさんあるわけです。小学生であってもお手伝いをしていれば、水、火、布...家事で扱うものへの観察が深まり、そのものの性質が理解できるようになります。

曹洞宗永平寺の開山・道元は、炊事や掃除に人間を育てる深い意味があると考え、修行の基本に置きました。炊事の心得書である『典座教訓』には「衆僧の食事をつくるため、ひたすら余念を交えず、その一事に打ち込むことは大事な修行である」と書かれています。いまでも永平寺ではこういった道元の教えが守られ続けているのです。家事は観察力、そして忍耐力を育てます。

さらに、買い物、年中行事、宗教行事など、家事は人間的な面の多い領域です。社会性を育てる上でもとても重要な役割を果たしてきました。しかし現代では、これまで家事が育てていた人と人とのつながりが消滅し、人間関係は希薄化、そして無縁社会という大きな問題を引き起こしています。

私たちは大きくなりすぎた資本主義に抗う必要に迫られています。いま行動に起こすべきこととは何でしょうか? これだけ大きな流れですから、明確な解決策をあげることは困難です。しかし、身近な範囲で出来る小さな働きかけの一つに、商店街を復活させることが挙げられると考えます。

かつて東京の八百屋は、野菜を横浜や千葉から仕入れていました。商店街では、近場から物をもってくればいいので、エネルギー消費の原因となる輸入に頼る必要がなくなります。昔のように地域から仕入れれば事足りるのです。

さらに、商店街は、商売とか職人に向いている人、自分で工夫するのが好きな人の受け皿にもなり得ます。昭和30年代の商店街にはあらゆる仕事がありました。八百屋のほかに、銭湯、床屋、荒物屋、カバンや服、椅子などの修理をしてくれる店...。

現代でも、良い学校を出て、大きい会社に勤めて競争社会に入ることに向かない人はたくさんいるわけです。商店街は多様で、有機的な雇用先という重要な役割も担っています。こうして地域に人と人とのつながりを蘇らせていくのです。

資本主義の大きな流れの中で商店街を復活させるのは、はっきり言って難しいことです。遅くまで営業していて、なんでも揃っているスーパーマーケットに頼らず、商店街を利用するというのも現代人にとっては難しく、面倒に感じるかもしれません。

しかし、地道に自分の手に家事を取り戻していくことが必要です。私達は戦後から、便利ということに囚われすぎています。行き過ぎた資本主義から脱し、よりよい社会を実現させるためには便利にとらわれず、考える必要があります。みんなが自覚して考えることによって、声が出るようになります。そうすれば、いつしか方向性が見えてくると思うのです。

 

【小泉和子(こいずみ・かずこ)】
1933年、東京生まれ。昭和のくらし博物館館長。工学博士。重要文化財建造物の家具・インテリアを復元。元京都女子大学教授。『昭和のくらしと道具図鑑』『ちゃぶ台の昭和』(河出書房新社)など多数。

【昭和のくらし博物館】
東京都大田区南久が原の住宅地にある小さな博物館。昭和26年建築の庶民住宅である旧小泉家住宅主屋を家財道具ごと保存し、丸ごと公開している。開館日:金・土・日曜日・祝日 10:00-17:00

 

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