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精神科医がすすめる、節約が必要な老後に「豊かな食生活」を送る方法

PHPオンライン衆知 / 2024年8月21日 11時50分

高齢者の食卓

高齢になると食が細り、食事に楽しみを見いだせなくなっているという方も多いのではないでしょうか。いつしか、食事の前に「いただきます」と声に出すこともなくなり、質素な食卓に侘しさを感じることもあるでしょう。そんな中で、食卓を豊かに変える秘訣とは? 書籍『お金をかけない「老後」の楽しみ方』から紹介します。

※本稿は、保坂隆著『お金をかけない「老後」の楽しみ方』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

一人の食事でも「いただきます」「ご馳走さま」の心を忘れない

食事の前には「いただきます」、食事が終わった後には「ご馳走さま」と言い、また「いただきます」のときには合掌をし、「ご馳走さま」のときには軽く頭を下げる......。現在、老いに向かう世代なら、こうした習慣は自然に身についていると思います。

しかし、夫婦二人の食卓、あるいは「ひとり老後」だったりすると、つい、食前食後の挨拶も忘れて「さあ、ご飯にしようか......」とつぶやくぐらい。食後も、黙って立ち上がってはいないでしょうか。一人暮らしなのだから、あるいは少々くたびれてきた伴侶がいるだけだから、何も改まってそんな挨拶は必要ないだろう、と思うかもしれません。

でも、「いただきます」「ご馳走さま」は単なる挨拶以上の意味を持っているのです。目の前の食べ物に対する深い感謝や思いが込められた言葉だということを、みなさんはご存じでしょうか。

実は世界を見渡しても、食事の前に合掌するという習慣を持つのは日本人だけのようです。英語では、一家の主や客人を招いた人などが「Let’s eat.」(さあ、食べましょう!)と言うぐらい。フランス語では「Bon Appétit.」。直訳すれば「よい食欲を!」(食欲が盛んでありますように)。

つまり「どうぞ、食事を楽しんでください」という意味ですが、これはレストランのギャルソン(給仕)などが料理を出したときに使う言葉。本来は、食事をする人は特に決まった挨拶はしないようです。

中国語にも「いただきます」に当たる言葉はなく、ときに「吃吧!」(チィバッ!)と言うことがあるようですが、これは英語の「Let’s eat.」と同じで、「さあ、召し上がってください」という言葉に当たるようです。

一方で日本語の「いただきます」には、こうした言葉とは本質的に違った意味合いが持たれています。私たちが口にする食べ物は、肉や魚は言うまでもありませんが、野菜や果物もみな命ある存在です。その命を「いただいて」自らの生命活動の源にしていく――。それが、動物である人間が生きていくうえでの宿命です。つまり、「いただきます」は、ほかの生命体の命をいただくことに対する心からの感謝の言葉なのです。

キリスト教でもイスラム教でも、食事を与えてくれた神に対する感謝は捧げますが、地球上で展開される食物連鎖に対する感謝を含む「いただきます」とは本質的に異なるでしょう。

「いただきます」という言葉の根底には、生命の営みに対する深い哲学があると私は考えています。また食後の「ご馳走さま」は、あちこち走り回って今日の食卓を調えてくれたことに対する感謝の言葉――。転じて食卓に並んだものを、ありがたくいただいたことへの感謝の言葉ともいえるでしょう。

仏教精神が流れる日本の食事作法には、はじめから終わりまで「万物に対する感謝の念」がいっぱいに込められています。ですから食卓に向かうのが、たとえ一人であっても、食事の前には「いただきます」を、食事が終わった後には「ご馳走さま」と口にすることを、おろそかにしないようにすべきです。

こうした感謝の心があれば、たとえ質素な食卓でも「わびしい」と思うようなことはなくなります。それどころか、一回一回の食事を大切に思う気持ちが強くなっていき、ひいては食べること、生きること、こうして命を長らえていることへの思いも深まっていくでしょう。

 

食が細くなったからこそ「旬のもの」「土地のもの」を食べよう

八百屋や魚屋の店頭を見ていると、季節を感じることがよくあります。たとえばタケノコ。ゆでたタケノコはいつでも食卓にあるようですが、土のついた掘りたてのタケノコは、春たけなわの頃だけに楽しめる味。カツオやサンマが店頭に並ぶと、いかにも旬到来とワクワクします。

食べ物は、できるだけ旬のものを選んで食べたいもの――。年をとってからはなおさらです。なぜなら野菜であれば、旬のものと季節はずれの野菜では、同じ量を食べたとしても栄養価が大きく違うのです。ホウレン草を例にとると、旬とそうでないものでは、栄養価は倍以上の差があるそうです。

また、夏場が旬の野菜は、あっさりした食感や体を冷やす作用のあるものが多く、反対に冬の野菜は体を温める効果がある根菜類が多くなるなど、旬の食材は季節の変化にともない、その季節の体が欲する効果を持っています。だからこそ体も心も満たされ、おいしいと感じるのでしょう。

これに加えて、それぞれの土地で採れた食材を食べることも大切にしたいと思います。「身土不二」という言葉を知っているでしょうか。風土と人間の身体は、分かちがたく結びついているという考え方です。

もとは「身土不二」という仏教用語ですが、その土地の自然に適応した旬の食べ物を食べることで健康に長く生きられるというわけです。この言葉とともに、その土地、その季節の食材や土地に伝えられる「伝統食」は体によい、という考え方が広まっていったといわれています。

私はドライブに行ったときなど、よく「道の駅」をのぞいて、まだ濡れた土がついているような採れたての地元野菜を買ってくることが多くあります。プーンと青臭さを放つ野菜は味がよいことはいうまでもなく、エネルギッシュでいかにも元気をもらえそうです。

同じ買うなら、できるだけ旬の、採れたて食材にしてください。食が細くなってそんなに量が食べられなくなっているわけですし、栄養価まで考えると、このほうが経済的にもずっとトクなはずです。

 

自宅でベジタブルヤードの代わりにハーブを栽培

山梨出身の私が東京に来ていちばんがっかりしたのは、野菜から青臭さを感じないことでした。本来、野菜はちぎったりしていると、ちょっと手が臭くなるくらいの「青い臭い」を放つものです。

海外で暮らしていたとき、いちばん羨ましかったのは中心街を少しはずれると広い庭付きの家が普通で、その庭の一角にはベジタブルヤード(菜園コーナー)が作られていることでした。彼らは、家族が食べる野菜はちょっとしたものなら自宅で作るのがいちばんと考えているのですね。

自宅で作れば何より新鮮で、トマトなら完熟のものなどが最高の状態で食べられます。無添加無農薬なので安心安全、そのうえ家計の節約にもなるので、3倍お得な暮らし方でしょう。

「わが家で食べる野菜は自宅で作る」というライフスタイルは、日本でも少し前まで当たり前のものでした。裏庭には葉ものやナス、キュウリなどが植えられ、毎朝、食べ頃になったものを味噌汁に浮かべたり、ザクザク切って塩でもんで浅漬けにしたり......。

しかし、都会のマンション暮らしでは、そんなことはできません。ハーブをプランターで育てるだけで我慢しているという人も多いようです。それでも疲れたとき、特に心が疲れたときに温かなハーブティーの効果は絶大です。温かな飲み物は心をほっこりさせてくれますし、風邪気味でもハーブティーを飲んで寝ると、翌日はすっかり風邪が吹き飛んでいることもよくあります。

ハーブはスーパーなどで手に入りますが、案外高価です。少量しか使わないので一度では使いきれず、次に使おうとすると乾いてしまったり、しおれて無駄になってしまったという場合が少なくありません。

知人の家では、プランター2つをハーブ専用に使っています。ここにミント、ラベンダー、ローズマリー、レモングラスなどを植えてあるのです。また、イタリアンパセリ、シソも一株ずつ植えてあります。

ハーブなどは春先に苗を植えるだけ。ときどき液肥を与えたり、虫がついたら退治してやるぐらいです。それだけで春から夏、さらには初秋まで、思いついたときにいつでも新鮮な葉をつまみ取り、使うことができるそうです。

仕事に疲れたときなどは、ミントの葉を数枚ちぎって、ティーカップに入れて熱い湯を注ぐ――。その瞬間、立ち上る香りの清々しいこと。新鮮なハーブならではの楽しみです。さらに、はちみつを少量入れるとほのかに甘く、小腹を満たす効果もあるので間食に手を伸ばすことがなくなり、ダイエット効果も期待できます。

スーパーなどで買ってくるよりずっと経済的なことは、言うまでもありませんね。高齢期の節約生活は、何より「みじめな雰囲気」にならないようにすることが大切ですが、プランターでハーブを作ることは、節約よりもむしろナチュラル、ヘルシー感を与えるほうが高く、命を育てる喜びも堪能でき、それだけで心豊かになるでしょう。

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