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サッカーで「判定への不服」が頻繁に観られるのはなぜか W杯の開幕戦主審を務めた西村雄一氏は「選手が試合に集中し始めればアピールは格段に減る」

NEWSポストセブン / 2024年6月17日 11時15分

 筆者の個人的感想ではあるが、「審判への抗議や反抗的態度が頻繁なスポーツ」という印象もある。実際、本書で登場する他競技の審判たちからも、「判定に選手が不服を示す場面が多いので、サッカーの審判はつらそう」という声があった。

「フィジカルコンタクトですぐに倒れて派手なアピールをする選手がいるのは確かですが、それも含めて“サッカーの表現力”なのだと理解しています。

 私が実感していることですが、選手たちが“今日は主審に任せた”と試合に集中し始めると、判定へのアピールは格段に減ります。その状況になった時に、“自分は良いレフェリングができているのでは”と感じます。

 逆に選手からのアピールがなかなか収まらないうちは、まだ“任されていない”ということ。実際、後半の残り20分を切ったら選手たちは試合の勝敗に向けて目の前のプレーに必死になり、アピールする余力なんてありません。それでもまだアピールされるようであれば、主審のマネジメントにも問題があるかもしれません」

 しかしながら選手の不満やアピールに付き合うばかりでも試合は進まず、混乱する。“曖昧さ”があるからこそ、サッカーの審判には「威厳」が必要になってくるのではないだろうか。

「審判に『威厳』があると感じてもらえるとすれば、試合中ではなく、ゲームが終わった後に選手やサポーターが“良いジャッジだった”“素晴らしいマネジメントだった”と感じてもらえた時なのだと思います。もし私が試合中に威厳を出そうとしたら、単に高圧的になるだけでマネジメントはうまくいかなくなります。

 過去には“審判の判定は絶対”という時代もありましたが、今は映像判定の導入などもあり、“審判だって間違えることがある”ということが浸透してきました。両チームからレファーされたからこそ選手と同じ目線に立ち、時には間違いを認めることも大切です。よって私は“選手に対して威厳を示そう”とは考えません」

 西村は「審判と選手」の関係をこう表現する。

「私は選手たちを常にリスペクトしていますが、それが返ってくることは期待していません。判定が違えば“あの審判はダメだ”と思われるでしょうし、判定が正しければ“よく見てくれていた”と信頼される。この信頼を積み上げていくことで、お互いにリスペクトし合う関係が理想です。そうなれば選手は判定を審判に任せて試合に集中できる。それが最高のゲームをつくり、審判としても“最高のマネジメントだった”ということになるのだと思います」

(第6回に続く)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。サッカーをはじめプロ野球、柔道、大相撲など8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

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