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「今、18歳に戻っても乃木坂46には入れないと思う…」南野陽子が振り返る『ザ・ベストテン』時代

NEWSポストセブン / 2024年7月5日 18時15分

「80年代はたくさんの歌番組がありましたけど、『ザ・ベストテン』には特別な緊張感がありました。TBSでいちばん大きなGスタジオからの生放送でしたが、大きいといってもビッグバンドの皆さんもいらっしゃるし、1時間でいくつものセットが組まれるので、スペース的な余裕がない。わずかな時間でセットを転換しなくてはならないから、CM中はスタッフさんの大声が飛び交っていました。

 スモークを使ったときは床が濡れて滑りやすくなるので、次の人が登場するまでに総がかりでモップがけをするんですよ。その間、カメラさんは居場所がないので私たちがいるソファのところで待機されていたんです。『ベストテン』の映像を観ると、そんなバックヤードの記憶まで甦りますね」

 女優として第一線で活躍を続けるナンノだが、近年は音楽活動を再開し、新曲の発表やライブの開催を重ねている。テレビで歌う機会もあるが、当時との違いを感じることはあるのだろうか。

「私が『ベストテン』に出演していたのはバブルに向かって勢いのあった時代。スタッフさんたちはいろんなアイデアを模索していました。『これはできない』じゃなくて『実現するにはどうしたらいいか』を真剣に考えていた。皆さん、自分の責任で仕事に邁進する、腹の座った頼もしい方たちでしたね」

清楚で上品なお嬢様スタイル

 語り草となっている駅や飛行場、新幹線の中からの中継はその最たる例だろう。現在ならコンプライアンスの名のもとに自粛しそうなことにも当時のテレビマンたちは果敢に挑戦していた。そんなプロフェッショナルに囲まれて育った彼女は徐々にセルフプロデュース力を発揮。6作目のシングル「楽園のDoor」(1987年)以降は自ら衣装や振り付けを手がけるようになる。

「沢山の先輩アーティストの方を見て学ぶことも多かった。例えば明菜さんは、曲ごとに衣装やメイク、振り付けなど明確なイメージがあったじゃないですか。歌番組でご一緒する機会が多かった私はいち早くそれを知ることができて『今度の新曲はこうなんだ』って毎回ワクワクしていたんです。だから自分もレコーディングのときに曲に合いそうな衣装を考えるようになって」

 学生時代から自分で洋服を作っていたこともあった。毎回異なる衣装で視聴者を魅了したナンノは80年代のアイドルにありがちだったフリフリの衣装やミニスカートではなく、清楚で上品なお嬢様スタイルで独自のポジションを確立した。洗練されたセンスはどうやって培われたのか。

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