【追悼】徳田虎雄さん 原動力となった「医療に革命を起こそうとする意志」 戦友が明かす「手についたぎょうさんの傷」への思い
NEWSポストセブン / 2024年7月13日 9時15分
徳田氏は、怒りをバネに医者になる。大阪大学医学部を卒業すると、自分の生命保険金を担保に、大阪府松原市のキャベツ畑だった土地を購入し、1973年に「徳田病院」を開く。間を開けず、「徳洲会病院」を次々に設立していった。
その原動力は、医療に革命を起こそうとする意志だった。
徳洲会が急速に病院を増やした1970~80年代、日本の医療は腐っていた。
開業医は「患者が医者の都合に合わせて当然」と休日や夜間の急病人を診なかった。大学病院も、医師や看護師の負担が大きい救急患者を受け入れない。都道府県医師会を統率する「日本医師会」は、国会議員と厚生省(現・厚生労働省)の官僚を相手に医師の人件費に当たる診療報酬の引き上げ運動に明け暮れる。
厚生省は、医師会に屈して1974年2月には診療報酬を平均19%も引き上げたが、国民が望む救急医療には十分な報酬をつけず、採算がとれないまま放置した。そのツケは患者に回される。全国各地で、救急車が患者の受け入れ先を見つけられず、立ち往生した。患者がたらい回しにされている間に命を落とすことも珍しくなかった。
そうした状況に、徳田氏は「(この世には貧富の格差や差別はあるが)生命だけは平等だ」「年中無休、24時間診療」と声を張り上げ、関西、九州・沖縄、関東などの「医療沙漠」と呼ばれる無医地区に病院を建てていく。
徳洲会が進出する地域の医師会は、“メシのタネ”である患者を奪われると怯え、自治体に圧力をかけてその計画を潰そうとした。だが、地域の住民は医療を渇望しており、徳洲会は民意を受けて病院の建設用地を確保する。各地で医師会と激闘をくり広げた。
手についた「ぎょうさんの傷」
徳田氏の進撃を陰で支えたのが徳洲会に集まった全共闘世代の医師たちだった。彼らはボス教授が頂点に立ち、助教授(准教授)、講師、助手を従えて「医局」を支配する大学医学部を変革しようと激しい闘争をした経験を持つ。長いものに巻かれず、戦いの炎を絶やさなかった医師たちが徳洲会に集まった。
その中心にいたのが盛岡氏だった。ときには、徳田氏を支えるために裏社会を相手に危ない橋も渡った。盛岡氏は、徳田氏と同じ徳之島の出身で、京都大学医学部を卒業し、精神医療の改革に打ち込んだ。その後、アメリカのボストン小児病院で2年間、客員研究員を務め、1981年に帰国すると徳田氏の訪問を受けた。盛岡氏は、徳田氏との出会いをこうふり返る。
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