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【追悼】徳田虎雄さん 原動力となった「医療に革命を起こそうとする意志」 戦友が明かす「手についたぎょうさんの傷」への思い

NEWSポストセブン / 2024年7月13日 9時15分

「もの凄いバイタリティを感じましたね。一緒に医療改革をやろう、日本中、世界中に病院をつくって医療を変えたい、そのためには政治力も持たないとやっていけない。ゆくゆくは、俺はノーベル賞を取って、世界大統領になるつもりや、と彼は言った。僕は、徳田先生、あなたからはヒトラーか織田信長を連想しますよ、と申し上げたんです」

 すると徳田氏は、盛岡氏にこう吐露したという。

「ぼくの手には、ほれ、ぎょうさん傷があるやろ。草刈り鎌でついた傷や。小学3年から毎日、牛の餌にする草を刈った。痛くても、疲れても休まなかった。ぼくは頭が悪いから大学受験の勉強も生きるか、死ぬかやった。病院づくりも苦しみの連続や。苦しい状況に追い込まれたら、いつもそっと傷痕に触ってみる。徳之島の怒り、悲しみを忘れるな、がんばれと傷はぼくを奮い立たせてくれるんや。こんな傷だらけの手を持つ、貧乏人上がりの人間が、きみ、ヒトラーなんかにはなれんよ」

 盛岡氏は、ヒトラーも世のため、人のためと言いながら国民を狂気の戦争に引きずり込んだのではないか、と思いつつ、医療改革の運動体である徳洲会に人生をかけようと入職した。盛岡氏は採算が悪化した病院を立て直す。いまや徳洲会グループの旗艦病院に成長し、徳田氏が長い入院生活を送った「湘南鎌倉総合病院」は、盛岡氏が鎌倉市や神奈川県に水面下で働きかけ、「個人病院」として開設したところから始まっている。

「太陽」と「月」のような関係

 徳田氏が「太陽」なら盛岡氏は「月」のような間柄で、徳洲会を繁栄に導いた。

 が、しかし、徳田氏が衆議院選挙に当選し、巨額の裏金を政治に費やすようになると徳洲会の財務は悪化。銀行を交えた財務の立て直しの局面で盛岡氏は徳洲会を去った。そのひりひりするような顛末は、拙著『ゴッドドクター 徳田虎雄』に詳述したので、省略する。

 政界の保守勢力のなかで徳田氏は迷走し、ALSを発症した。全身不随で、肉声を失っても視線を文字盤に這わせて意思を伝え、経営の舵を執ろうとした。

 だが、病気が進むにつれて親族が経営に介入し、徳洲会は針路を見失う。2013年に徳田氏の次男が立った衆議院選挙で大規模な選挙違反が発覚し、幹部10人が公職選挙法違反で起訴された(徳洲会事件)。

 盛岡氏の胸には、徳田氏とのさまざまな場面が去来する。

「いろいろありましたが、徳田さんは紛れもなく、稀有な医療人でした。僕自身、面はゆい言い方になりますが、青春の時代に救急医療、地域医療を構築するために彼と共闘できたことは生涯の誉です。一緒にたたかった戦友ですね。うん、戦友です。ご冥福をお祈りします」

 翌朝、訃報メールをくれた盛岡氏に電話をすると「戦友」の死をこう語った。合掌。

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