1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

【独白5時間】超老老介護の果てに、長年寄り添った妻・節子さんを殺害した吉田友貞さん(80)が涙ながらに語った“幸せだった日々”「それなりに女も酒も…」華やかなシングルライフの果てに50歳で結婚「花が好きだった妻とお互い信頼しあっていた」

NEWSポストセブン / 2024年7月29日 16時55分

 勉強はあんまりでしたが、小学校の時は全校生徒を代表して答辞を読んでいましたよ。親父は戦後何年か経って、逓信省を辞めて叔父の会社で働きました。お袋は優秀だったね。新潟から出てきて、やっぱ逓信省に入って。そこで結婚したみたい。お袋はね、先生の資格を持ってたらしくて、結構うるさかったです」

 高校を卒業した後は、老舗百貨店の横浜支店で勤務したという。日本経済が右肩上がりで成長する中、華やかな業界に身を置いた。

「1番初めはね、呉服部寝具係の寝具和装部門。簡単に言えば、売り子です。結婚式の布団なんかを注文で作っていました。結果も出して転勤で銀座に移ったんですよ。そこでは食料品の担当でした。合計で百貨店には10年か11年ぐらい勤務しました。そこで、たまたま食料品の取引先の会社からどうだって話があってね。そのハム会社は品川の近くにあってね、そこは製造販売と、レストランもやっていた。なぜか、そのレストランの責任者から、こっち来いと言われたんです。

 新宿の歌舞伎町にあったドイツレストランで働いていました。男のほうが少ない職場だから、彼女らしいのはずっといました。親父も呑兵衛でしたが、僕も呑兵衛でした。毎日飲んでましたね。だからね、母親も僕の結婚は諦めていました」

妻・節子さんとの出会い

 酒に女をたしなむシングルライフを満喫する人生になるであろうと本人も、親族も考えていた頃だった。40歳を目前にして、出会ったのが節子さんだった。

「新宿のお店をオープンする時に、女性スタッフを募集したわけですよ。そこで派遣会社から来たのが節子さんでした。今でもよく覚えているんですが、履歴書を見ると、僕の2つ下になっていた。ほんとは6つ上なのに(笑)。

 節子さんは離婚していて、バツイチでした。渋谷の出身で、元旦那さんは小さな会社を経営されていた。でも不倫されたり暴力があったみたいで、元旦那さんが仕事している間に、子供を連れて逃げ出してきたと聞きました」

 2人で写る写真を手に取る吉田さん。

「最初は好きだとか、可愛いなとかもなかったな。娘がいることも妹だって言って隠してね。節子は仕事が終わると、すぐに帰っていて、周りも俺たち2人が結婚するとは思わなかったと言っていましたよ」

 ドイツレストランは1、2年で閉店し、次に節子さんが働く場所を吉田さんが紹介したことから仲が深まっていく。

「新宿御苑の店を紹介したんだけど、やっぱりたまに顔出すじゃない。働きぶりというか、どうですか、みたいな。それで飲みに通うようになって。それからなんです。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください