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【パリ五輪柔道「待て」の合図後も絞め技で失神、一本負け】「国際審判員の技術レベル」と「男子の試合を女性審判員がジャッジすることの是非」レジェンド国際審判員の見解

NEWSポストセブン / 2024年7月29日 19時15分

 1984年、競技実績を買われた37歳の正木は全柔連から声をかけられて審判員となり、それから6年後の1990年、全柔連の推薦を受けて国際ライセンスの試験を受験した。国ごとにレベルは違うとはいえ、すでに自国で一定のキャリアを積んだ者だけが集まるため、座学のようなものはなく、いきなり実際の試合会場、それもシンガポールで開催されていた国際大会が試験の舞台だった。

 受験者は10日間にわたって審判を務め、審査官が点数をつける。これでまず30人の受験者が約半数に絞られた。

「残った者は英語の講習を受けました。といってもやはりペーパーテストでなく、柔道着を着ての実技です。まずは受験者の目の前で(地元の)シンガポール選手の技を見て、“この技は何ですか?”と質問される。私が“背負い投げです”と答えると“OK”となるわけです。

 見るだけではありません。“ミスター・マサキ、ウチマタをやってください”と指名されるのです。私の得意技なのでスパッと決めてみせると、周りから“オー、ワンダフル!”の声が上がる(笑)。八段の私にこんなバカげた試験はないとも思いましたが、それでも指定された技がわからなかった者もいて、合格したのは10人ほどでした」

 国際審判員といっても、競技用語は「一本」「技あり」「待て」といった日本語の単語だけなので、「語学力は不要だった」と語る。試合中に選手に指示をする際に英語を使うこともわずかにあるが、正木は片言の英語で20年間にわたって国際審判員を務めた。

国際試合では「言語と国籍の壁」がある

 正木が主審を務めた国際大会で、判定をめぐって意見が分かれたことがある。一方の選手が関節技で対戦相手に体を預けたため、「危険な技」として正木は試合を止めた。すると副審の一人が手を挙げたのだ(柔道のルールは度重なる変更がなされている。当時は主審と副審2人による判定だった)。

「副審の一人はフランス人、もう一人はアメリカ人だったと記憶しています。3人で“危険な技にあたるかどうか”で意見を交わしたのですが、2人とも母国語で話すので私の判定に賛成なのか反対なのかわからない(苦笑)。反則技の判断はとりわけ微妙なので、通訳を介せないのは大変でした。

 試合は生中継されていたこともあって、私も戸惑う姿を見せられません。そこで副審を制したうえで、覚悟を決めて自信を持って反則負けを宣告しました。幸いにも両副審ともに納得した表情で頷いてくれました」

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