【逆説の日本史】「プランB」として放棄された内モンゴル独立運動
NEWSポストセブン / 2024年8月27日 16時15分
しかし、その試みは結局失敗した。
まず、清国が崩壊し清王朝が滅亡したことを「内モンゴル人」は絶好のチャンスとはとらえなかったことだ。前回、司馬遼太郎の見解を紹介したが、中原を支配し「中国人」となった満洲族は元遊牧民で、遊牧民の恐ろしさを知っていたこともあるだろう。漢民族以上にモンゴル民族を警戒し、とくに内モンゴル人に対してはあらゆる弾圧、分断、懐柔の限りを尽くした。
その結果、「誇り高いモンゴル人」が満洲族の鼻息を窺うようになってしまった。だから、民族意識に目覚めたグンサンノルブがいくら呼びかけても、内モンゴル人は彼の下で一つにはならなかった。グンサンノルブ自体のリーダーシップも不足していた。それは彼が日本における室町幕府の創設者足利尊氏のように、ほかの大名を飛び越える身分では無く、いわば「同輩」であったからだ。
「なぜ、お前の下につかなければならないのだ」と考える旗長が少なからずいたということだ。この点、足利尊氏は戦争に勝つことにより新田義貞のようなライバルを排除したが、グンサンノルブにはそれができなかった。できなかった理由はいくつかあるが、最大の理由は日本が武器援助を中止したからだ。その理由については後で述べるとして、グンサンノルブは女子教育を重視したことでもわかるように、どちらかというと文人肌でチンギス・ハンや尊氏のような武闘派では無かったこともある。
それでも、外モンゴルが強力な独立国家となり、ロシア、中国の対抗勢力となって「大モンゴル主義」を標榜すれば流れは変わったかもしれないが、時代はそのように進まなかった。たしかに一九一二年(明治45/大正元)一月の辛亥革命によって清朝が滅び中華民国が成立したとき、それを待っていたかのように外モンゴルのハルハ地方から独立を宣言する集団が現われた。これは一時軍備を整え「独立国」となったので、歴史上はボグド・ハーン政権と呼ぶ。
「ボグド・ハーン」は称号である。この人、個人名は別にあったのだが、ラマ教の「法王」ダライ・ラマ12世によってジェプツンダンバ・ホトクトという活仏、簡単に言えば「仏の生まれ変わり」であると認定された。こうした「存在」はこの世の寿命を終えても別の人間に輪廻転生する。だから、このときまでにジェプツンダンバ・ホトクトは歴史上に七人現れたが、その八人目(8世)として認定されたのである。
だから活仏としてはジェプツンダンバ・ホトクト8世(1869~1924)であり、独立国モンゴルの元首としては「ボグド・ハーン」と呼ばれた。「ハーン」はチンギス・ハンの「ハン」と同じで、ボグドは「聖なる」ということだから、「聖帝」ととりあえず訳しておこうか。
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