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【逆説の日本史】「プランB」として放棄された内モンゴル独立運動

NEWSポストセブン / 2024年8月27日 16時15分

 本来、参謀本部というのは常にそういうことを考えておかねばならない。全体のプランニングを考えるのが参謀本部の仕事であるし、人間のやることには必ず失敗がつきものだからだ。もっともこの時代から昭和二十年までの日本の歴史は、参謀本部がそうした本来の機能を失い、天皇の御稜威(霊力)に守られた不敗の軍隊という驕りが生まれ、「プランB」を考えない組織になっていくというものだが、辛亥革命当時の陸軍参謀本部はそこまで硬直した組織にはなっていない。

 日本にとって最良と言える結果は、日本びいきの孫文が主導権を握った民主国家が清国に代わって誕生することだった。しかし、孫文は戦争が下手で彼の指導する革命は何度も失敗した。今回は「袁世凱の革命派への寝返り」もあって成功する可能性は高かったが、それでもうまくいかなかったときのことは考えておかねばならない。それがプランB、つまり革命政権が日本の望む形で成立しない場合、逆に清朝を日本の力で再興させ、あわせて内モンゴルも独立させ思いどおりにするというものだった。

 しかし、曲がりなりにも革命は成功し、中華民国が成立した。その後、革命政権のトップの座を孫文から譲られた袁世凱は、じつはいずれ皇帝になるという野心を抱いており、その障害となる民主派のリーダー宋教仁を暗殺するという暴挙に出るのだが、そんなことはこの時点で誰にも読めない。陸軍参謀本部はとりあえず革命が成功したのだから、プランBは必要無くなったと考え、放棄した。

 とは言っても、なにが起こるかわからないのが世の常である。だから積極的軍事援助こそ中止したが、川島を通しての善耆の「保護」は続けた。この間、川島と善耆はさらに親交を深め二人は義兄弟となり、善耆の娘が川島の養女となったことはすでに述べた。参謀本部は積極的応援もしなかったが、それを黙認した。なぜなら、「パイプ」つまり人脈というものは多く確保しておくにこしたことはないからだ。

 そして大隈内閣の時代、その人脈が生かされることになった。袁世凱が自ら皇帝に即位したからだ。そんなニセモノの、しかも反日の皇帝を認めるよりは、本物の清朝皇帝を日本の手で復活させたほうが遥かにマシ、ということである。

(第1428回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2024年8月30日・9月6日号

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