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【全文公開】沢田研二、桂ざこばさんと育んだ友情 「還暦を超えてから親友に」「飲み明かした横浜の夜」…哀悼秘話

NEWSポストセブン / 2024年8月24日 7時15分

 両者の距離がさらに近づいたのが、大阪で暮らすざこばさんの「横浜遠征」だった。2008年2月、急に休みが取れたざこばさんは横浜に住む沢田に電話し、「遊びに行っても、よろしおまっしゃろか」と尋ねた。沢田が「どうぞ来てください」と答え、翌日にざこばさんが新幹線で新横浜駅に到着すると、驚きの光景が待っていた。

「新幹線を降りたざこば師匠を、沢田さんと妻の田中裕子さんが駅のホームで待っていたんです。スター夫婦の丁寧なおもてなしに人情家の師匠はすっかり感激して、沢田さんのことがますます好きになった。食事の場では、師匠のマシンガントークに沢田さん夫妻はずっと大爆笑。時間が過ぎるのを忘れて、その夜は何軒もハシゴ。最後は、ざこば師匠が泊まるホテルのラウンジでもお酒を楽しんだそうです」(落語関係者)

 横浜の夜から3か月後に完成したのが、冒頭の『TOMO=DACHI』だった。歌詞にも2人の関係が描かれており、2人は60才で最高の「友達」になった。

「還暦を迎えてから家族ぐるみで仲よくできる“ダチ”ができたことを、ざこば師匠はとても喜んでいたそうです。周囲に“おれはあのジュリーと友達なんだ”と自慢して回ったこともあった。沢田さんが大阪でライブをやるときは必ず足を運んでいましたし、高座で最初に観客の心を引き寄せる“まくら”では、沢田さんのネタを話すことも珍しくありませんでした」(前出・落語関係者)

 在阪テレビ局関係者は、こんなエピソードを話す。

「あるとき、ざこば師匠が自分の携帯電話を紛失したんです。すると師匠は“ジュリーの番号が携帯に入っている。迷惑かけたらどないしよ”と、ほかの有名人の番号には構わず、沢田さんのことばかり心配していました」

 家族ぐるみで互いの自宅を行き来する交友を続けていたが、沢田が芸能生活50周年を迎えた2017年、その関係は微妙に変化する。

「ざこば師匠が、脳梗塞で倒れて入院したんです。以来、体調がすぐれない日が多くなり、2021年には体調不良で活動を休止しました。コロナ禍も重なって、喘息持ちのざこば師匠は体調が回復した後も外出を控えざるをえなかった。そうした事情もあって、交流が減ってしまったんです」(前出・落語関係者)

 その間、沢田は親友を気にかけ続けていた。

「2017年以降も沢田さんは何度か大阪でライブを開催していて、ざこばさんが会場に足を運ぶことができなかったライブのときに、MCで脈絡もなく“ざこば師匠、元気かな……”とつぶやいたことがありました。その後も何度か、ざこばさんの名前を出して心配していましたね」(前出・沢田の知人)

 2023年秋頃から、ざこばさんは入退院を繰り返すようになり、今年4月末には弟子の襲名会見に出席したが、その約1か月後に急逝した。

「沢田さんにとって、予期していない急な別れでした。ざこばさんが亡くなった6月は、沢田さんがツアー中だったこともあって、しっかりと送り出せなかった。そのことがずっと心にひっかかっているんです」(前出・沢田の知人)

※女性セブン2024年9月5日号

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