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「今年はじめについに貯金が底をつき、今は借金生活」『地面師たち』で遅咲きのブレイク 五頭岳夫(76)が明かすホームレス役が多いのは「底辺の人の気持ちがわかるから」知られざる役者半生

NEWSポストセブン / 2024年8月29日 17時59分

「入院治療をしながら、病院を抜け出し毎日のように映画を観ていました。病院の白い壁に囲まれていると閉塞感が強く、ただ何かをしたくて。発想の転換ですね。退院後は米国を1カ月放浪してミュージカルを観たり、欧州へ1か月行ってスペインのサグラダ・ファミリアを観たりしていました。

 旅が好きですね。つい先日、NHK BSプレミアム4Kで放送されたドラマ『母の待つ里』は岩手県の遠野でロケだったので、1日オフの日には共演の女優・中島ひろ子さんを連れて中尊寺にドライブしました。あちこち行けるのは楽しいです」

貧しい小作農だった実家を離れ役者へ

──出身は新潟県だそうですね。

「新潟の水原(すいばら)町(現・阿賀野市)です。実家は農家。小作人ですよ。男6人、女6人の12人きょうだいの末っ子で、僕が生まれて半年で父親が亡くなり、母と姉が苦労して育ててくれました。

 とくに、一番上の姉は実は養女なのに花柳界に入ったりして、農地を買い取るお金や実家を建て替えるお金、僕らきょうだいの学費を作ってくれました。今でも頭が上がりません。今、100歳で、地元の特別養護老人ホームに入っているので、故郷に帰ったときには面会に行っています」

──どのようにして俳優の道へ入ったのですか?

「子どもの頃は農作業を手伝わされるのが嫌で、逃げるように通学に時間のかかる高校へわざわざ通いました。卒業後に上京し、自動車整備士になるための専門学校に進みました。そこで1年学んだ後、自動車ディーラーに就職し整備士に。でも、役者の夢を追って辞め、23歳のとき青年劇場の養成所に入ったんです。

 役者になりたいと思ったのは高校時代。市民劇団の公演を観て衝撃を受け、すぐに演劇サークルを作り、市や学校の文化祭などで上演し主演しました。作品を作るのが楽しく、違う人になり、他人に観てもらうことが快感でしたね! そして、そのとき上演したのが秋田雨雀(うじゃく)という劇作家の『国境の夜』という作品で、その秋田先生ゆかりの劇団・青年劇場に入ったというわけです。当時は120人ぐらい劇団員が在籍する大きな劇団でした」

──テレビや映画ではなく、最初に劇団を選んだのはなぜだったのでしょうか?

「僕は根がミーハーですから、当時、人気の高かったテレビや映画にも憧れました。でも、自分の顔を考えると……(笑)。映画を観ると、新劇の俳優──仲代達矢さん、杉村春子さん、山岡久乃さん、市原悦子さんらがたくさん出演していました。そうか、舞台なら僕にも活躍の場があるんじゃないか、と思ったんです」

孤独や金銭的な苦境に耐えても役者をやりたい

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