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京都国際・小牧憲継監督が明かした「名刺を捨てられたことも」「過去の謹慎処分」 前任の在日3世監督も語った「あの学校、環境でよくぞ……」

NEWSポストセブン / 2024年9月6日 15時58分

「学校からもより重い処分を言い渡されて、私は“やってられへん”と投げ出してしまった。銀行員を辞めてまで京都国際に来てくれた小牧を裏切る形となり、恨まれていても仕方ないんですが、私を頼って入学してくれた子たちを監督となった小牧が責任持って卒業まで指導してくれた。感謝しかありません」

 京都国際のグラウンドはレフトが70m、センターとライトが60mという狭くて歪な形状をしていて、練習試合どころか、外野ノックもままならない。このハンデのある練習環境で、小牧は16年間の監督生活で11人のプロ野球選手を輩出した。李が言う。

「あの学校で、あの環境で、よくぞこの成績を残せた。『すごいな』の一言しか浮かびません」

 小牧が脱サラして高校野球の指導者となった当時を振り返る。

「僕は野球以外、なんの取り柄もない人間で、ATMの使い方を知らないのに銀行員になったぐらいなんです。1年目(2006年)の11月に退行し、翌年4月までは実家が経営するコンビニで夜間バイトをしながら、京都国際でコーチをしていました」

 甲子園を目標に掲げるのではなく、大学や社会人まで長く野球を続けられる野球選手を育てることに重きを置く指導者としての姿勢は、李に教わったものだという。

「それはPLの教えでもあると思いますが、試合はいわば舞台発表の場という位置づけなんです。京都国際はグラウンドが狭いし、満足なチーム練習はできない。徹底的に個の技術を磨き、身体能力を高め、個の力を結集して試合で発表する。その舞台が甲子園であれば最高という考え方でした」

名刺を捨てられた

 2008年の監督就任当初は選手勧誘も小牧が担当し、中学野球の現場にも足を運んだ。しかし、韓国の学校という先入観が先行し、勧誘しても相手にされないことが続いた。

「目の前で名刺を捨てられたこともありますし、高校野球関係者を集めた会合に僕だけ呼ばれないこともあった。チーム関係者や親御さんからしたら、こんな得体の知れない学校ですから(笑)、それも仕方なかったと思うんです。それでもひたすら通って誠意を見せ続けていたら、協力してくれる人が出てきた。中学野球関係者の方に言われた一言は今も心に残っています。『京都国際に(教え子を)預けるんちゃうぞ。信頼するお前に預けるんや』って」

 京都国際の監督を辞めたくなることは幾度もあった。その度に、協力者のその言葉が浮かぶ。

「声を掛けて来てもらった以上、その生徒への指導を投げ出して、僕だけ他の条件の良い学校に移ることなんて絶対にできない。覚悟を持って来てもらう以上、こちらも覚悟を持って接しているつもりです」

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