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《伝説の女性編曲家・山川恵津子さんインタビュー》「小泉今日子の『100%男女交際』は59時間不眠不急の“修羅場”を経て完成した」

NEWSポストセブン / 2024年9月6日 16時15分

 そもそもあの曲はダイナミックなパートから始まってイントロに入り、AメロBメロを経てサビに移ったあと、もう1回盛り上がりを迎える複雑な構成で、それをまとめ上げるのは本当に難しかった。忘れられない修羅場です」

 山川さんの努力の結晶である『100%男女交際』は、1986年の日本レコード大賞の編曲賞を受賞する。女性編曲家として初の快挙だった。

「いまも昔も、音楽業界の裏方は9割が男性スタッフ。時間が不規則だったり肉体的にハードだったりして、女性が門戸を叩くハードルが高いのかもしれないけれど、私はそれがもったいないことだと思っていて。アイドルやミュージシャンのように表舞台に立つ以外でも、女の子が音楽業界で手に職をつけ、生きて行く方法があるのだということを身を持って伝えたかったというのも、本を書こうと思った大きな理由です」

 山川さんが音楽を始めたのは幼少期。家にあった琴を触っていた少女が小学2年生半ばからピアノをスタートさせると、その才能はぐんぐん花開いていった。本書には、音楽を愛しながらも人前で歌うことが苦手だった山川さんがアレンジという仕事に出会い、道を切り開いて行く様子も綴られている。合唱にも魅了されコーラス部に入ったが、ソロで歌うと極度に緊張してしまう“あがり症”に悩まされてもいた。そんな山川さんの日常に転機が訪れたのが、高校2年の1学期だった。

「クラスメイトの古谷野とも子に誘われて、ヤマハのポプコン(ポピュラーソングコンテスト)にユニットで出場したら良いところまで進んで、あちこちからプロになりませんかと誘われたんです。夏休みを明けたら彼女は学校をやめてシンガーソングライターとして一歩を踏み出していきましたが、うちは厳しかったので大学に入るまではダメだと許されなくて。だけど私も、初めて音楽の世界に自分の力で足を踏み入れることができたという感激があったんですよね。

 人前でひとりで歌いたくはない、けれど音楽を仕事にして自立したい。それでヤマハでアルバイトをしながら制作部署の人たちと話すうち、編曲という仕事があることがわかって、興味を持つようになりました」

 写譜やスコアの書き方、レコーディングアレンジやサポートミュージシャンの様子を“見て”学んだり、レコーディングやコンサートのサポートスタッフとして“参加して”学んだりするうち、「編曲こそクリエイティブ」と実感するようになり、編曲家としての実績を着実に積み重ねて行った山川さん。しかしながら、その知名度も権利も作曲家に比べてあまりに低いのも事実だ。

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